「アキラとあきら」

tetu-eng2017-10-01

「アキラとあきら」
池井戸 潤
2017年5月31日初版発行
徳間文庫

今週は、民進党の「下品な行い」を書こうと思いましたが、あまりにも下品すぎるので止めました。

それより、今、ぼくが嵌っているスマホのアプリを紹介します。それは、「詰将棋」のアプリです。もちろん、藤井四段のブームの影響です。これだからミーハーなんですよね。将棋は、小学校の2〜3年生のころには、縁側で友だちと指していた記憶があります。が、今もって、まったくの「へぼ将棋」です。

親父が、誕生日に将棋の駒と将棋盤をプレゼントしてくれたのかな?将棋盤の裏には、弟と誕生月が同じだったので、二人の名前が墨書されていました。あの将棋盤は、どこにいったのでしょうか?将棋の思い出は、兄弟の名前が墨書された将棋盤です。

詰将棋」のアプリは、一手詰めから十一手詰めまで、問題を選択することができます。ぼくは、まだ五手詰めの段階ですが、毎日、暇つぶしに頭をひねっていたら、脳トレになっていいのかも?でも、十一手詰めなんてできるのかな?まあ、継続は力でしょう。

山崎瑛(アキラ)と階堂彬(あきら)。

零細町工場の息子の瑛。大手海運会社の御曹司の彬。生まれも育ちも、まったく異なるふたり。小説は、彼らの生い立ちから始まります。そして、二人とも産業中央銀行に入行して、バンカーとしての道を歩みだします。しかし、彬(あきら)は、海運会社の経営を救うため、銀行を退行することとなります。

『「儲かるとなればなりふり構わず貸すのが金貸しなら、相手を見て生きた金を貸すのがバンカーだ。金貸しとバンカーとの間には、埋めつくせないほどの距離がある。同じ金を貸していても、バンカーの金は輝いていなければならない。金に色がついていないと世間ではいうが、色をつけなくなったバンカーは金貸しと同じだ。相手のことを考え、社会のために金を貸して欲しい。金は人のために貸せ。金のために金を貸したとき、バンカーはタダの金貸しになる。」』

瑛(アキラ)と彬(あきら)が入行のとき、研修の講師のことばです。含蓄のある内容ですが、世の中のバンカーは金貸しになっていないでしょか?なんて、住宅ローンが終わった現在、銀行から借金をすることはないでしょうから、無用の心配ですね。

それよりも、「FXに興味はありませんか?」「ない。親の遺言でFXはやらない。」「いい投資の商品がありますよ。」「いらない。」なんてことは、日常茶飯事です。今の銀行は、高齢者をターゲートとして、手数料で稼ごうと躍起ですね。低金利・マイナス金利では、銀行は、実は、大変でしょう。そうそう、銀行に預金するなら、銀行の株を買ったほうがお徳ですよ。定期金利0.01%(元本保証有)、銀行の配当4%(元本保証無)、どうします。

『会社がどんな状態かは、数字を見ればわかる。売上が増えているか、利益は出ているか・・・・そういったことは、財務諸表に記載される金額を見れば一目瞭然だ。だが、とても大切なことなのに、数字をいくらながめてもわからないものがある。
それは、人の心だ。そして、その胸の内である。
カネは人のために貸せ・・・・とは、入行時の新人研修で、当時融資部長だった羽根田の言葉だ。
羽根田のいう「人」が、果たして社会全体としての人を意味するのか、それとも取引先の経営者本人や従業員たちを意味するかは不明だが、人がすべての中心だという発想は、そのとき瑛の腹にすとんと落ちた。』

確かに、「金は人のために貸せ。」の「人」は誰を指すのか、これは、池井戸さん・・・難問じゃないですか?池井戸さんは、難問を出しておいて、答えは明瞭にしていないですね。ケース・バイ・ケースということでしょうか?池井戸さんの真骨頂のバンカーのお話でした。