「ノルウェイの森 上・下」

tetu-eng2017-10-08

ノルウェイの森 上・下」
村上 春樹
2017年2月1日第63刷
講談社文庫

細君が長期出張から帰ってきました。

5月から約五ヶ月間の一人と一匹の生活に終止符を打ちました。とりあえず・・・・。一人も、一匹も、自分のリズムができて、なんとなく、生活に慣れていましたが、そうはいっても、細君が居るといないとでは大きな違いがありますね。読者の皆様には、いろいろと、ご心配をおかけしましたが、一人も、一匹も、元の日常が戻ってきて、「ほっこり」としています。

さて、毎年、恒例のノーベル文学賞の季節になりました。早いですね。昨年、ボブ・ディラン騒動・・・騒動といっていいか?どうか?はありますが、まあ、授賞式に来ないとか、メッセージがないとか、普通ではなかったですね。あれから、1年が過ぎて、またまた、村上春樹の名前がチラホラと聞こえてきましたが・・・・。

カズオ・イシグロ」って誰?日本人?ぼくが、知っている筈がありません。日本生まれの英国人作家とのこと。日本人を描いた「遠い山なみの光」「浮世の画家」など、代表作は、「日の名残り」とのこと。うむ、翻訳本は、ほとんど、読まない「ぼく」ですが、・・・・そりゃそうです、日本の作家の小説で手一杯ですから・・・。でも、「カズオ・イシグロ」さんの作品は、日本人的らしい・・・なにが、日本人的かは、判りませんが・・・読んでみたい。

で、この季節になると、「村上春樹」を読みたくなるのです。復習すると、村上春樹。1949年生。68歳。ぼくより、四歳お兄さん。京都の伏見で生まれ、神戸の夙川で育ち、神戸高校卒。高校まで神戸で暮らしていたとのこと。いつもニュースで流れるのが、村上春樹ゆかりのイタリアンレストラン「ピノッキオ」。ここで、「ハルキスト」が集まって残念会をやっているらしいです。場所は、NHK神戸の対面です。

なぜ、今、「ノルウェイの森」か?ノーベル賞も然ることながら、加計学園問題で、一躍、有名になった前川さん。「ノルウェイの森」の主人公が住んでいた学生寮が、前川さんの祖父が創立した目白の学生寮がモデルであったとのこと。そんな記事を読んだので、ちょっと、気になって、今、「ノルウェイの森」なんです。興味がある方は、Yahooで「前川 ノルウェイ」で検索するとザクザクですよ。

『飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。』

37歳の僕は、ビートルズの「ノルウェイの森」に心を揺さぶられています。その理由は、僕が大学に入ってからの奇妙な寮生活と、高校時代に自殺した親友の恋人、直子との関係を思い出したからです。タイトルの「ノルウェイの森」は、直子の好きな曲だったのです。直子は、精神病で山深い場所にある療養所に入院しています。そこには、不思議な同居人レイコさんがいました。

『「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるんだ」』

僕は、親友のキズキが死んだとき、そう諦観していた。

『たしかにそれは真実であった。我々は生きることによって同時に死を育んでいるのだ。しかしそれは我々が学ばねばならない真理の一部でしかなかった。』

『直子の死が僕に教えたのはこういうことだった。どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを悲しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。』

「学びとった何か」とは「何か?」それは、「何か?」であって、それ以上のものでもなく、それ以下のものでもない。「何か?」なのでしょう。そして、その「何か?」は、何の役にも立たないのです。って、こんなことを考えるのも、たまには、いいんじゃないですか。