「白隠禅画をよむ」

白隠禅画をよむ」
(面白うて やがて身にしむ その深さ)
芳澤勝弘
ウエッジ
2012年12月31日第一刷

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先日、テレビを観ていて、スマップの中居正広さんが、いいことを言っていたので紹介します。彼が若い時に先輩の俳優さんに言われたことらしいです。「何でもいいから、一つ、「オタク」になるものを持ちなさい。」彼にとっては、野球らしいです。野球のことなら、一生懸命になれる。


「オタク」に没頭していると、何かも忘れることができる。ある意味、「無心」になれるということかも。ぼくは、ウクレレを弾いているときには、演奏に集中しているので、余計なことは考えないです。これは、禅の道に通じることかもしれません。


ただし、ぼくの「オタク」は何かと問われれば、とにかく、移り気な性格だから、これと言って、極めた「オタク」がありません。なにか、一つ極めたいと思うのですが(もちろん、プロ(プロとは、その道で稼ぐという意味。)になる、という意味ではありません。)・・・。


そうそう、今更ですが、先日、龍象院の住職に、「いつも拝んでいる当院のご本尊は」と尋ねたら、「正観世音菩薩」ということでした。ここで、またしても、ぼくのムラムラが始まって、そもそも、菩薩とは何ぞや?


そもそも、仏とは何ぞや?死んだら成仏すると言うが、死んだら皆、仏になるのか?・・・今、勉強中ですが、こりゃ、仏教の成り立ちから、勉強しないと・・・と思ったら、気が遠くなりました。まあ、これも、ボチボチです。


さて、昨年、佐川美術館で白隠禅師の禅画を鑑賞してから、禅画にやや関心を寄せています。もちろん、毎週土曜日に太山寺の分院である「龍象院」で参禅していることも影響しているのでしょう。


そこで、「白隠禅画をよむ」(面白うて やがて身にしむ その深さ)を神戸外大の図書館で借りて一読しました。


白隠慧鶴禅師(1685~1768)日本臨済禅中興の祖。江戸開府(1603)から80年後、ときは元禄時代、江戸爛熟期といってもいい。赤穂浪士の討ち入りが、元禄15年(1703)12月14日なので、そういう時代の僧侶らしいです。


この方、おびただしい数の書画を残しているらしいです。達磨さん、鍾馗さん、雷神さん、布袋さんなどなど、現代の漫画のような図案で、賛(画の横に書かれた漢文など)に風刺的な言葉が書かれています。


画と賛が一体となって、庶民に処世術のようなものを説教していたのでしょうか?難しい経文ではなく、漫画とその吹き出しで、面白おかしく表現したのでしょう。

衆生本来仏なり
水と氷の如くにて
水をはれて氷はなく
衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ 「坐禅和讃」』

 
この方の禅画を鑑賞していると、決して「うまい絵」とは思いませんが、味があるのです。つい、吹き出してしまう・・・そういった白と黒との世界です。