「春の庭」
柴崎 友香
文藝春秋 九月特別号
920円(税別)
第51回芥川賞受賞作品
久しぶりに普通の小説です。
芥川賞作品を読んだ後、もう芥川賞受賞作品は読まないと感想を書いていますが、柴崎さんのこの小説は、これまでとは、色合いが違います。まず、エログロ的ではないということでは好意的に読むことができました。
芥川賞作品と言えば、純文学というレッテルのためか、選考委員の選考基準でもあるのか、とにかく、現実世界から遊離した文字、言葉や文章構成のトリッキー性が際立って、とにかく、面白くないというのが、僕の感想です。もちろん、僕は、文学者ではないので、文学のことはわかりませんが、日本語はわかります。
でも、芸術って、絵画でもそうですが、素人が鑑賞して、「いいな」と思えるのは、写実的なものですよね。ピカソを鑑賞して、「すばらしい」って、僕は、わかりません。文学も、そうなんでしょうね。
太郎は、「ビューパレス サエキ?」の自分の部屋から水色の家を見ています。この小説の主役は、どうも、太郎ではなく、この「水色の家」なのです。僕は、そう思いました。―― いま、そう思いました。
『水色の家は、確かに目立つ建物だ。洋館ふうの建物である。横方向に張られた壁板は、明るい水色に塗られている。赤茶色の瓦の屋根は、平べったいピラミッドのような角錐型で天辺には槍の先型の飾り。』
この水色の家に過去に住んでいた人たち、その写真集「春の庭」。この写真集に写された家の様子が描写されており、今、住んでいる家族の生活が描写されています。
僕は、この小説のストーリーを簡単に紹介することができません。この小説では、水色の家の過去と現在、そして、そこでの生活。また、水色の家の写真が表現していること、それらのテーマがフォルムとして、次から次へと展開していく。やはり、ピカソの絵にようなものですかね。
『太郎の部屋は、ソファでいっぱいだった。象牙色の布が部屋を埋めていた。塀の上に腰を下ろして、部屋の奥を覗くと、巨大な冷蔵庫が鈍く銀色に光っていた。冷蔵庫の中にある豆腐を今日中にたべなければならないことを、太郎は思い出した。』
この一説が、エンデイングです。太郎と水色の家は、空想の世界だったのか。最後に、太郎は冷蔵庫の中にある豆腐という現実に引き戻されたのか?
きっと、僕のこの「読書雑感」を読んだ人は、訳が分からないと思うでしょう。純文学とは、「訳の分からない世界」に読者を引きずり込むものなのでしょうか?
まあ、年に2回ほど、この世界に引きずり込まれるのも、悪くはないでしょう。でも、やはり、小説は、「喜怒哀楽」を表現して、読後に、優しい気持ちになったか?怒りを感じたか?悲しい気持ちになったか?そして、楽しく、明日への希望を持てたか?これが、大切でしょう。
では、次回の芥川賞作品を期待しています。