「されど、われらが日々」

tetu-eng2015-01-25

「されど、われらが日々」
柴田 翔
文春文庫
1999年10月15日発行
448円(税別)

「大学での勉強が若者の役に立っていない」という新聞記事を読みました。昔から、大学での勉強が就職して役に立つということがあったのでしょうか?

大学の勉強が生かされ、本人の希望の職業に就ける人は、ごく少数のラッキーな人であり、多くの人は、挫折を感じながら、明日の糧を得るために、意に沿わなくても就職するのではないでしょうか?
そして、最後に、自分の人生を振り返って、「まあまあ、良かった」と思えれば、それで、十分じゃないでしょうか?

もっとも、この記事は、会社が即戦力を求めるという内容でしたが、せっかちなことです。人材は石ころを磨き上げて宝石に育て上げるものです。世の中、人の所為にすることが多いのですが、会社は、人材育成を大学の所為にするのでしょうか?こんな心がけでは、いい人材は育ちません。
大学は、いろいろな経験をして、マインドを育むところであり、技能や知識の習得は、その一手段にしか過ぎないのです。

「京の昼寝」という言葉は、今の世の中には通用しないのでしょうか?

いやいや、読書雑感の大脱線です。

「されど、われらが日々」。タイトルが、いいですね。1999年発行の本ですが、初版は、1974年(昭和49年)です。とにかく、柴田翔、読んだか?というのが、合い言葉のような時代だったと思います。僕が、大学生の頃にミリオンセラーとなり、その頃、読んでみたかったのですが、ついつい、読みそびれていました。今頃・・・ですが、「やっと、読んだな!」というのが感想です。

『高校2年の夏、はじめて正式の党員になった時の高揚した気持ちを忘れることができません。君は、ああした気持ちを経験したことがあるでしょうか。党を離れることは、そうした過去に自分の全てを否認してしまうことなのです。
ぼくらが二年の終わりでした。ぼくらは、学生党員も、できる限り地下に潜って、軍事組織に加われ、という指令を受けました。それは昭和二十九年のことです。』

党とは、共産党のことです。この時代は、メーデー事件、朝鮮戦争社会主義の浸透など、戦後の日本において、もっとも、思想意識が爛熟した時代だったのです。今では、とても、考えられないですね。もちろん、多くの若者は、ノンポリでしたが、一部には、共産主義にかぶれ者もいました。大人たちは、そのことは、風邪を引いたようなものだと評していました。

小説は、この時代の若者の三通の手紙から構成されています。もちろん、この当時の若者の内面をえぐるというか、今から言えば、垣間見ることができる、そういった内容です。

『「ぼくは思うんだけど、幸福には幾種類かあるんで、人間はそこから自分の身に合った幸福を選ばなければいけない。間違った幸福を掴むと、それは手の中で忽ち不幸に変わってしまう。いや、もっと正確に言うと、不幸が幾種類かあるんだね、きっと、そして、人間はそこから自分の身に合った不幸を選ばなければいけないんだよ。本当に身に合った不幸を選べば、それはあまりよく身によりそい、なれ親しんでくるので、しまいには、幸福と見分けがつかなくなるんだよ」
「あなたの言うことは、頭がよすぎて、私には判らなくなってしまうわ」』

多くの哲学者が、議論した「幸福論」ではなく、「不幸論」ですね。昔の学生は、こういった本を読んでいたのです。アニメもいいけど、たまには、学生時代に、この本を読んで下さい。