文藝春秋五月号「日本には田中角栄が必要だ」

tetu-eng2016-05-08

文藝春秋五月号「日本には田中角栄が必要だ」

4日の夜のこと。大学時代の友人から突然の電話がありました。ビックリポンです。40年ぶりに近況を語り合いましたが、彼は、会社を定年退職して、再雇用の道を選択せずに、スローライフを楽しんでいるようです。

まことにうらやましい限りです。僕には、今、会社を辞して、スローライフを愉しもうという勇気はないですね。たぶん、毎日、「しんどい」とか、「きつい」とか、愚痴を言いながら、会社という組織の中に身を預けているのが、とても、楽なのだと思います。

それでも、あと、2〜3年後には、嫌でも、会社という組織から離れなければならない時はきます。そういった流れの中に身を預けて、流れに抗うことなく、平々凡々と、行雲流水のごとく、生かされているのが、僕の人生なのでしょう。

ときには、「僕に、もう少し、勇気があったら」と思うことはありますが、何でしょうか?やはり、少しでも、余裕のある生活をしたいと考えるからでしょうか?結局は、物欲なのですね。物欲を捨て、スローライフを愉しもうという「ほんの、ちょっとした勇気」があれば・・・って、どこかで聞いたコマーシャルですね。
そんなことを考えさせられた「友人からの電話」でした。

話は変わりますが、今、田中角栄ブームらしいです。

ロキード事件から40年、角栄没後23年ということらしいです。この23年間に出版された「角栄本」は、なんと140冊らしいです。そして、どういうことか、あの「青嵐会」で角栄批判の急先鋒だった石原慎太郎の著作「天才」は、40万部を超すベストセラーとのこと。

そして、石原慎太郎は、文藝春秋の投稿で、こう綴っています。

『僕と角さんには共通項もあった。役人を軽蔑していることです。役人は先輩のやったことを踏襲するだけで、発想力がない。角さんはそのことを見抜いたうえで、必要に応じて役人の力を使っていた。でもいまの政治家は、教養も能力もないから、結局役人に任せきりで、いまや役人の天下です。民主党政権は、霞が関主導の政治を脱却するべく事務次官会議を潰したりしたけれど、結局何もできなかった。いまの自民党の政治家も、役人を使っているようで、実は彼らのいいように使われています。いま政界を見渡してみても、角さんに匹敵するような政治家はいませんね。』

ロッキード事件は、ぼくが学生時代だったと思います。丸紅の本社前には、ピーナツがまかれていたのを見て、それが印象に残っています。なぜ、ピーナツか?40年前の事件なので若い人には理解できないでしょう。

たしかに田中角栄という政治家の魅力は、いろいろな著述で、伝説的に語られています。ロッキード事件も、3億円の現金が動いたのは事実として、角栄のエネルギー政策に危機感を感じたアメリカの謀略という説もあります。

まあ、権力者が清貧なんてことは、まず、あり得ないことで、仮に、本人は清貧でも、周りの取り巻きは、それでは納まらないでしょう。政治家の口利きなんて、常識ですよ。よくはないと思いますが。それを利用する国民が、一番、低俗なんでしょう。

そのことは、ともかくとして、世の中が複雑になり、一人の政治家で、すべてを指導するのは、もう、無理なのかもしれません。また、そういう政治家を求めるのは、逆に、独裁的になるので、現在の議院内閣制が、日本には、マッチしているのではないでしょうか。