「三四郎」

三四郎

三四郎
夏目 漱石
新潮文庫
昭和23年10月25日発行
昭和54年9月20日124刷
324円

先週、先々週と、休日勤務のため、ブログの書き込みをサボってしまいました。そのため、ブログは2週続けて、お休みしましたが、お休みしてしまいますと、なかなか手がというか、キーボードを打つ指が動きません。
習慣とは、恐ろしいものです。毎週、書き込みをしていた時は、左程(左程、余程、成程などは、漱石の造語と言われています。)、苦にもならずに、キーボードが打てていたのですが、たった、2週間、お休みしただけで、無精癖が付いてしまったのでしょうか?それでも、どうにか、パソコンの前に座って、書き出しをどうしようか考えに耽っています。
さて、「三四郎」は、3月上旬に読了していましたが、先程の事情で、ブログへの書き込みが遅れました。
漱石の「三四郎」を読んだのは、もう、これで何回目でしょうか?高校時代に初めて読んでから、漱石の小説では、一番好きな作品です。「三四郎」の文庫本が2冊もありますが、昭和54年の頃から文庫本の文字が大きくなり読みやすくなったので、買いなおしたものです。
それが、今回の読んだ「三四郎」の文庫本です。最近、文庫本のカバーにモデルの写真を使って、若者に興味をもってもらおうとしているようですが、それは、どうもいけません。本のカバーは、そのストーリーを想像させるものであるべきです。
羅生門」、「草枕」、「人間失格」、「金閣寺」などの小説の文庫本のカバーが、モデルの写真集の表紙のようになっています。そんな文庫本が、本屋の書棚に並んでいますが、ちょっと、可笑しいのではないですか?そんな手段を用いて、若者に「人間失格」を読ませようと思った編集者さんへ、あなたは、「文芸失格」ですよ。

熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎君。上京の旅の列車の中から物語は始まる。列車に乗り合わせた女性と名古屋で同宿するイキサツとなる。そして、その女性との別れるとき、
「色々御厄介になりまして、・・・・では御機嫌よう」と丁寧に御辞儀をした。三四郎は革鞄と傘を片手に持ったまま、空いた手で例の古帽子を取って、只一言、
「さようなら」と云った。女はその顔を凝と眺めていた、が、やがて落付いた調子で、
「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑った。三四郎はプラット、フォームの上へ弾き出された様な心持がした。車の中に這入ったら両方の耳が一層熱り出した。

カバーの錦絵のような男女は、東京で出会う里見美禰子さんと三四郎であろう。漱石の小説は、何度読んでも、毎回、新しい言葉を勉強する。とにかく、言葉が豊富である。わずかに引用した一節に、例えば、「余程」とか「心持」などは、おそらく漱石の造語ではないでしょうか?
三四郎」「それから」「門」の三部作。時折、思いだしたように読み繰り返す本です。