「ミチクサ先生 上」

「ミチクサ先生 上」

伊集院静

講談社文庫

2023年7月14日発行

 

柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺

『宿の畳に寝ころんでいると足音がして若い女中が茶を持ってきた。

「姉さん、御所柿は食えんかのう?」

「ありますよ。すぐにお持ちします。」

大きな鉢一杯に持ってあらわれた。

「こりゃたんと食べられるの。娘さんはどこの生まれぞな?」

「月ヶ瀬です。梅がきれいなところです。」

一口食べると甘味が口に広がった。

美味い。と子規が声を上げた時、釣鐘を打ったような音が聞こえた。』

 

先週、コロナに感染しましたが、今のところ後遺症はない。と、書きました。ところが、推奨の待機期間(発症日の翌日から5日間)が過ぎて、徐々に、咳き込むようになり、痰が喉に絡みだしました。

 

発熱しているときは、何もなかったのに?これが、後遺症でしょうか?いつまで続くのかは分かりませんが、やや気怠いと言えば、そんな感じかもしれません。少し、大人しくしていることが肝要かも。

 

今週は、余談は短めにして、「ミチクサ先生 上」の読書雑感です。

 

以前、「ノボさん 上・下 小説正岡子規夏目漱石」(伊集院静)の読書雑感を掲載した時、予告した「ミチクサ先生」です。一昨年かな?日経新聞の朝刊の連載小説でした。そのときも、読んでいたのですが、改めて、文庫本が発行されたので読みました。

 

あっ、「ミチクサ先生」の主人公は、夏目漱石です。

 

伊集院静さん、正岡子規を主人公とした「ノボさん」と、夏目漱石を主人公とした「ミチクサ先生」の両小説を上梓して、同じ取材で「2度おいしい」みたいな手抜きとは言いませんが、小説家の常套ですね。

 

主人公が、違うだけで、ほとんどストーリーは似ているので、同じ小説を二度読んだみたいなものです。ただし、ノボさんは、早逝するので、「ノボさん 上・下」と「ミチクサ先生 上」が、ほぼほぼダブりですかね。

 

でも、「いいんです。」ぼくにとっては、夏目漱石正岡子規は、第一等の「推し」ですから、様々な視点から、二人のエピソードを知りたいのです。

 

もちろん、この二人の文学評論は、多くの研究者が書いていますが、ぼくは、文学者ではないので、文学の小難しいことは解りません。ただ、物語として、面白おかしく、二人の人となりを眺めたいのです。

 

『「金之助君、この句をどう見るよ。

  五月雨や大河を前に家二軒

どうじゃ、えもんじゃろう。同じ五月雨でも芭蕉はこうじゃ。

  五月雨を集めて早し最上川

どちらがええと思うよ。あしは断然、蕪村じゃな。』

 

夏目漱石正岡子規東京帝国大学の数人しかいない国文科の学生。子規は、中退して、文学者へ、漱石は、卒業後、松山中学、熊本第五高校の教師に転進します。漱石が、小説家になるのは、まだ、先のことです。