「青年」

tetu-eng2012-04-08

「青年」
森 鴎外
新潮文庫
昭和23年12月15日発行
平成24年 1月20日九十四刷
438円+税

森鴎外は、1862年(文久2年)生。今年が生誕150周年です。そこで、鴎外を読もうと思いましたが、さて、何を読むか?「舞姫」これは、高校時代に読んだっけ。う〜む、悩んだ末に、ここは、青春痛快小説?表題も「青年」これしかない。「青年」は、1910年(明治43年)発表。今から、100年以上前の青春小説。ちょうど、漱石の「三四郎」が、1908年(明治41年)発表ですから、この小説に触発されて執筆されたとも言われています。漱石は、1867年(慶応3年)生なので、二人は、同時代を生きたわけですが、交友関係はなかったそうです。なぜでしょうか?文芸評論家ではありませんが、研究テーマとしては、面白いかも。

『小泉純一は芝日陰町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。目まぐろしい須田町の乗換も無事に済んだ。さて本郷三丁目で電車を降りて、追分から高等学校に附いて右に曲がって、根津権現の表坂上にある袖浦館という下宿屋の前に到着したのは、十月二十何日かの午前八時であった。』

小説の(壱)冒頭です。純一がY県(山口県)から上京した折の様子から小説は始まります。これが100年前の小説かな?と思うほど、情景描写がシンプルです。小説の出だしは、季節の挨拶のようなもので、やれ、花が綺麗だとか、月が綺麗だとか、暑いとか、寒いとか、どうとか、から始まるものですが、「人にうるさく問うて」と「目まぐろしい」で、東京の雑踏を表現しています。小説の書き出しは、このくらいがちょうどいい。

『純一が日記の断片
午後から坂井夫人を訪ねて見た。有楽座で織りあいになってから、今日尋ねて行くまでには、実は多少の思慮を費やしていた。行こうか行くまいかと、理性に問うて見た。・・・・理性の上でpro(賛成)の側の理由とcontora(反対)の側との理由とが争っている中へ、意志が容喙した。己は往って見たかった。その往って見たかったというのは、書物を見たかったのには相違ない。しかし容赦なく自己を解剖して見たら、どうもそればかりであったとは云われまい。
己はあの奥さんの目の奥の秘密が知りたかったのだ。』

貸家の大家のお嬢さんのお雪さん、有楽座のイブセンの講演で隣り合わせた未亡人の坂井夫人、柳橋の栄屋の芸者おちゃら、箱根の柏屋の女中お絹さんなど、純一は、係わりのある女性に若い感情を揺らします。未亡人の坂井夫人には、格別です。しかし、その思いは、大方、若さからの思い込みにしか過ぎないものなのです。傍からは、滑稽にも思える純一の思慕。その純一の内面が、容赦なく書き綴られています。時に、純一は友人の大村と、語り合います。これも、「青年」の特権なのです。100年前の小説が、少しも、古さを感じない。現代の青年に是非読んでほしい「青年」です。

『「何を笑うんだい」と大村が云った。
「今日は話がはずんで、愉快ですね」
「そうさ。一々の詞(ことば)を秤の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね。」
「なぜ人間は年を取るに従って偽善に陥ってしまうのでしょう。」
「そうさね。偽善というのは酷かも知れないが、甲らが硬くなるには違いないね。永遠なる生命が無いと共に、永遠なる若さも無いのだね」』