「冥土めぐり」

tetu-eng2012-08-26

「冥土めぐり」
鹿島田 真希
文藝春秋掲載
2012年9月号
838円(税別)

 第百四十七回芥川賞受賞作
 受賞者インタビューから

『「この作品で受賞したかった」ということですが、それだけ力の入った作品ということでしょうか。
鹿島田 そうですね。一年ぐらいかけて百枚書いては全部捨て、一字一句書き直すことを十回ぐらい繰り返しました。これまでも割と何度も書き直すほうでしたが、ここまで書き直しが多いのは初めてですね。』

 芥川賞受賞作は年2回、文藝春秋に、受賞作全文、選考経緯、受賞者インタビューが掲載されます。ちなみに、直木賞は、オール読物です。前回も、ブログに書きましたが、下関出身の田中慎弥の「共喰い」でした。受賞インタビューでのコメントが話題になって、もう、半年が過ぎたのですね。早いですね。「共喰い」と比べると、うむ、今回の「冥土めぐり」の方が、芥川賞らしい作品でしょうか。石原慎太郎さん、選考委員をお辞めになったのは、早まりましたね。今年の作品は、石原さんの好みではないでしょうか。私は、今年の作品は、秀作だと思います。ただし、タイトルが、ちょっと、違うかな?
 「理不尽が理不尽でなくす」ことが、この作品の主題です。奈津子は、母と弟から理不尽な仕打ちに悩んでいます。この理不尽な仕打ちは、家族の内、何故だか、奈津子に向けられるのです。子供時代の裕福な記憶、経験などから抜け切れない母。そして、その母に溺愛される弟。夫の太一と結婚するときも、そして、結婚後も、この理不尽は止みません。夫が、脳神経の病気に罹り四肢が不自由になりますが、この理不尽は止みません。

『奈津子は、今までずっと不可解だと思っていたことについて考えてみる。太一は、自分の家族から受けた仕打ちについて、突然見舞われた、脳の病気について、どうしてなにも語らないのだろう、と。この一連の理不尽と矛盾について、彼はどう思っているのだろう。だが今、旅の終わりに、奈津子はなんとなくわかる気がする。彼はきっとなにも考えていないのだ。晴れの日は服を脱ぎ、雨の日は傘を差す。きっとその程度にしか感じていないのだ。季節が変われば「今日はいつもよりあったかいや」と呟いたりして、あらゆる猛威を前にして、身をさらし、束の間の休息をとる。そうやって生きてきたのだ。普通の人なら考える。もうたくさんだ。うんざりだ。この不公平は、と。だけど太一は考えない。太一の世界の中に、不公平があるのは当たり前で、太一の世界は、不公平を呑み込んでします。たとえそれがまずかろうが毒であろうが。』

奈津子は、夫が、発作を起こした時から「デジャヴ」を感じていました。「デジャブ」とは、一度の体験したことがないのに、何故か、過去に、すでに、何処かで体験したことがあるかのように感じる。理不尽の秘密は、「デジャヴ」と通じるところがあるのでしょうか?小説は、奈津子と太一が旅行に出掛ける場面から始まります。読者は、二人の無理心中の旅行を推理しますが、さて、結末はどうなりますか?

『鹿島田 理不尽を理不尽として書くだけでなく、理不尽を受け入れるところまで書いたのがこの作品における自分の成長だったかなと思います。理不尽を受け入れられる人というのはどういう存在なのかを具体的な人間像として描いたことが。』