「いま魂の教育」

tetu-eng2012-09-02

「いま魂の教育」
石原慎太郎
光文社
2001年3月30日初版第一刷
1200(税別)

 本箱の整理をしていたら、読んだ記憶のない本が出てきました。これ何に?と、細君に尋ねると、10年以上も前のことであり、細君も首をひねりながら、私が買ったのかも。との返事が返ってきました。ジュンク堂書店のブックカバーがついているので、神戸で買ったことは間違いなさそうです。10年前といえば、息子が14・5歳の頃、多感な時期だけに、細君も、何かと考えることがあったのかもしれません。暢気な私は、言うことを聞かなければ頭の一つでも、叩いておけばいいなんて考えていたのでしょう。いずれにしても、本は知識の泉ということで、折角なので、ひも解くこととしました。

『献辞(抜粋)
昔、子供は子宝であった 瀬戸内寂聴
 親は、教師は、今、何をなすべきか。この本はその鍵のすべてを手渡してくれる。戦後五十年をかけて、得体の知れない怪獣になりかけた子供たちを、昔の子宝として取りもどすのには、時間がかかる。しかしそれは、決して不可能ではない筈だ。一刻の猶予もない急務である。日本を滅ぼしたくなければ。』

 石原慎太郎の子供時代の体験、4人の男の子を育てた体験などを脚色(たぶん)して、子供の教育は、親の責任であり義務であることを論じています。この本に書かれていることは、おそらく、多くの親は、自然に、自分の親から引き継いで、また、自分の親になるまでの過程において学び、経験した自分の価値観に基づいて、子育てで実践されていると思います。もちろん、一部の親において、如何なものかという方もいますが、「一部が全部」ではないと信じています。決して、「日本は滅びることない」と確信しています。
 第1章から第5章までに編が分かれており、各章で小題ごとに簡潔に記述されているので、内容はともかくとして、読みやすい構成になっています。小題のほんの一部を紹介すると、「祖父母がいたから、きみがいるんだと教えよう」「時代を超えて変わらぬ価値があることを教えよう」「川を源流から海まで下ろう」「散る花をいとおしむ心を育てよう」「一寸の虫にも人間同様の命があることを教えよう」「あいさつは人間関係の入口であると教えよう」「いちばん好きな歴史上の人物について話そう」「自分の家だけの家風をつくろう」「家族を大切にする心が国を愛する心を育てる」「子供の見栄は、大いに伸ばそう」「飢えて死ぬ豹となっても腐肉を漁るハイエナとならない」などなど。
 小題のレッテルだけで、その書かれている内容が推察されますが、この本は、子供の教育のための本というよりは、今からでも遅くはない大人の自分自身の価値観を再認識、再評価するための本とも言えます。こう言っては、何ですが、五木寛之の「林住期」「下山の思想」よりは、もう少し、高等な内容だと思います。なぜなら、私の座右の三木清の「人生論ノート」がたびたび引用されていることに好感を持つからです。と言っても、「今の若い奴らは」的な大人の論理も幅を利かせているという一面もあります。

『人間にはパンと水のほかに一冊の本が必要である(然り・・・そのとおり(私談)
 パンと水は人間の生命維持にとって絶対必要な欲求の対象と思われようが、しかし、じつは人間が人間として生命を得て生きていくためには、パンと水だけではなしに、知識という心の血液に対する本能的な欲求があるということを親は心しておきたいものだ。』