「花冠の志士」

tetu-eng2014-11-02

「花冠の志士」
古川 薫
文春文庫
2014年年9月10日発行
660円(税別)

  来年の話をします。

  NHK大河ドラマは、「花燃ゆ」。主役は、吉田松陰伊勢谷友介)の妹・文(ふみ)(井上真央)です。また、また、我が郷土の長州が舞台となり、「おいでせ山口」のキャンペーンが再燃しそうです。

  歴史上、有名でもない文が主役ということで、どのようなドラマ仕立てになるのか楽しみですね。井上真央さんは、僕の好きな女優さんの一人だし、また、松陰役の伊勢谷さんも、なかなか個性的な俳優さんです。

  あとは、文の夫となる久坂玄瑞、松陰門下生の高杉晋作伊藤俊輔、井上門多などなど幕末の志士たちを若手俳優が演じると思いますが、特に、僕の好きな高杉晋作は、頑張って欲しいですね。

  長州の話になると、止まらなくなるので、本の紹介に移ります。

「花冠の志士」は、久坂玄瑞が、松陰門下生となり、蛤御門の変で戦死するまでの人物伝です。久坂玄瑞という歴史上の人物を知っている人は、少ないかもしれませんが、まあ、長州人ならばしっていますが・・・。松陰門下では、高杉晋作と並び称される人物です。おそらく、松陰の影響から「倒幕論」を初めて、論じ始めた志士ではないでしょうか?

  当時は、公武合体論が薩摩を含めて主流でしたが、長州は、漠然とした倒幕論で沸騰していました。その思想的な支柱が、久坂玄瑞だったのです。蛤御門の変は、結局は、この二つの思想の激突になったわけです。これは、僕流の歴史解釈です。

『このころ松陰は「僕(ぼく)」という一人称を使った。
 絶えず自己主張をくりかえした松陰が、最もふさわしい自我の謙称として選んだのがこの「僕」であった。のち松下村塾の者が、みなこれにならい、かれらと接触のあった人々に伝わっていく。
 拙者、それがしといった武家のことばを、僕とおきかえた松陰の一人称は、新しい人格を表現するものであり、明治に始まる新時代に受け入れられて、現代にまで生きつづけていると考えてよいだろう。』

  お気づきだったかもしれませんが、このブログの一人称が「僕」をつかっているのは、松陰かぶれの僕のなせる技なのですね。

  古川薫さんは、大正14年生で、まだ、ご存命のようです。僕の亡父より一つ年上で、山口の郷土歴史家の第一人者でしょう。昔、亡父が、山口文芸で賞をいただいたとき、授与者が古川さんだったので、なんとなく、郷土の先輩として親しみを感じ、何冊か、作品を読ませても頂きました。

『当時、玄瑞らの猛々しい実践活動は「狂挙」と呼ばれたし、またかれらも敢えてそう唱えることを憚らなかった。狂挙の暴発によって、みずからを時代の転換に賭けようとする玄瑞の決意は、「人は狂頑とそしり、郷党おほく容れず」と自分の画像に賛を書き遺して死んでいった吉田松陰の立場に通じている。』

  今、香港では、学生たちが「狂挙」を起こそうとしているのかもしれません。いずれにしても、若い人たちに、そういったエネルギーが必要であり、それが時代を変えていくのでしょう。日本では、そのエネルギーはどこにあるのでしょうか。