「神去(かむさり)なあなあ夜話」

tetu-eng2016-07-10

「神去(かむさり)なあなあ夜話」
三浦 しをん
徳間文庫
2016年6月15日初版

もう、一週間が過ぎて、ブログの記事を書かなければなりませんね。2007年5月からスタートして9年間、書き続けていると、マンネリ化して、サボりたくなることがあるのは、人の性(さが)でしょう。それでも、もっと長く、しかも、毎日、書き続けているブロガーもいらっしゃるのだから、ぼく程度のブログ書きが、怠けるわけにはいかないでしょう。

目指せ、「dandy−papaの休日」の10周年!あっ、来年ですよ。まあ、イチロー的に言えば、「特別、意識もしていないし、通過点に過ぎません。」って、ことでしょうか。

余談ですが、イギリスのEU離脱騒動で、株価が大きく下落、債券相場も下落(為替ヘッジあり海外債権で上がっている商品もありますが・・・)、いったい、マネーは、何処に行ったのでしょうか?小投資家(・・・家というほどの者ではありませんが)としては、当然、保有株式、債権の時価が下落して、意気消沈。損切りするのも癪(しゃく)に障(さわ)るので、塩漬け、ぬか漬け、みそ漬け状態で、静観するのみです。

それにしても、イギリス(人)という国(国民)は、わがままな国(国民)ですね。大英帝国のプライドが、今でも、根強く生きているのでしょうか?イギリス人の知り合いもいないし、イギリスなんぞ、行ったこともないので、解りません。イギリスと言って、すぐ思いつくのは、シェークスピアコナン・ドイル、アガサクリスティぐらいですかね。

と、余談はこれぐらいにして、じゃじゃん「神去(かむさり)なあなあの日常」の続編が出版されるとはビックリポンです。「神去(かむさり)なあなあ夜話」・・・ずばり、面白い小説です。林業をモチーフにしたお仕事小説から、一転、神去村の起源にまつわる神話の世界がひろがって、日本の原風景を、三浦しをんさんが絶妙なタッチで描いています。

『昔々、神去村ちゅう名前もなかったころのことや。
このあたりは、大きな大きな池やった。神去山の半分ぐらいまで、水に沈んどった。神さんがあちこちの山に、もちろん池にも住んどって、人間――わてらの先祖にあたるひとたちや――は山の斜面に小さな家を建て、木の実を採ったり猪を狩ったり炭を焼いたりして、ほそぼそと暮らしとった。』

繁ばあちゃんの神去村の昔話は、こんなふうに始まった。

平野勇気(二十歳)、横浜の高校を卒業して、いろいろ事情があり、三重県の山奥の神去村に放り込まれました。そこで、中村林業株式会社(親方は清一さん)で、お世話になりながら、1年が過ぎ、すこしは山の男になってきました。村では、林業の先輩のヨキの家に下宿してみきさん と繁ばあの4人暮らしです。おっと、愛犬ノコを忘れてはいけません。

『俺も村に来たばかりのころは、「暑いし寒いし仕事はきついし、まじサイアク」と思っていた。
でもそのうち、山のうつくしさや恐ろしさにどんどん気持ちが惹かれていっちゃったんだよな。斜面を風が渡るときの葉ずれの音、湿って甘い土の香り、流れる雲の影、茂みのなかで息を殺す動物の気配。そいうあれこれが俺の皮膚に染みこんで、なんだか居心地よく感じられるようになったんだ。山で仕事するなら軽トラが便利だし、服なんて鳥や猿ぐらいしか見てないしね。食えて眠れて、また山へ仕事に行けるなら、それで充分な気がしている。』

都会に住んでいると、いい車に乗って、ブランドの服を着て、誰に見せるわけでもないのに、つまらない見栄なのか、なんなのか、判りませんが、そうなってしまうのですね。「食えて眠れて、また仕事へ行けるなら、それで充分」そんな人に、ぼくはなりたい。