「路(リウ)」

「路(リウ)」
吉田修一
文春文庫
2020年1月20日第4刷

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緊急事態宣言が解除されて、学校が試運転で始まりました。子供たちの姿が公園から消え、以前の静かな朝の公園が戻ってきました。


ぼくは、図書館の自習室が閉鎖されたままなので、新しい日常生活を模索しています。といっても、そんな大層なことではなく、今日行くところも、今日の用事もないので、朝夕の散歩に精を出すのみです。


散歩のとき、必ず、手に持っているのは、護身用?の杖。いや、護身用ではなく、歩くときに持っていると、なんとなく調子(リズム)がよくなり、早歩きが容易になります。  それに、公園でストレッチをするときの補助具としても使えます。また、ソーシャル・デイスタンスを守る道具にも。


杖は、竹製。ホームセンターで買ってきて、手ごろな長さ(1メートル30センチ)にカット。石突きをつけて、手元をカラフルな紐で巻いたので、ちょっと、イイ感じ。竹杖(ちくじょう)と呼んでいます。


ここで、ちょっとした技は、「カラフルな紐の巻き方」。釣り竿のロッドビルディングのスレッドの巻き方を参考としました。竹に糸をまくという、同じ作業ですね。


でも、これをもって、歩いていると、やや怪訝な視線を感じますね。水戸黄門みたいな杖が理想的でしたが、あれは、アカザという植物の茎らしくて、なかなか手に入らないようです。まあ、そこまで、凝ることもないか。


この本を読んでいたら、「路~台湾エクスプレス」。主演 波留 のNHK総合土曜ドラマが放映されていました。観たかったのですが、小説が面白くなくなると思って、我慢しました。すると、本には、カバーをしていたので気が付きませんでしたが、今、カバーを取ると、帯に、しっかりと日台共同制作ドラマ化決定と書いてありました。なんだ~!


 2000年、台湾新幹線に日本とフランスの高速鉄道技術が採用となり、日本の新幹線の鉄道が台湾で建設されることとなった。商社員の多田春香は、日本企業連合の一員として台湾に赴任することとなります。


 葉山勝一郎は、日本の高速道路建設に従事した建設会社を退職して、現在、隠居中。彼は、戦前、台湾で生まれて戦後、日本に引き揚げてきたという経歴。


 春香は、学生のとき、台湾で一人の青年に会って、再開することを約束していたが、それが果たせなかった。その青年は、日本の建築会社で働いているが、台湾で彼と再会することとなった。


 勝一郎は、台湾に居るとき、台湾の友人との確執で、戦後60年、台湾を訪れることがなかった。しかし、妻に先立たれて、故郷の台湾の友人と再会することを決意する。


 台湾新幹線の建設をバックグランドとして、日本と台湾の戦後世代の若者のつながり、そして、戦前・戦後を生き抜いた世代のつながり、また、自然豊かな台湾の風景の鮮やかな描写、すべてが、感動を呼ぶ傑作でした。


 そういえば、ぼくの母は、台湾生まれの台湾育ちでした。勝一郎と同様、戦後、日本に引き揚げてきた世代です。母方の祖父の家に行くと、台湾から送られてきた置物などがありました。また、季節には、子供のくせに珍味「カラスミ」も食べていました。


 いま、コロナ問題で、中国と台湾の関係が話題になりますが、実は、ぼくにとっては、台湾は、幼い時から身近な土地だったので、この小説は、ほんとうに面白く、また、なぜか親しみを持って読ませてもらいました。