「みかづき」

tetu-eng2019-01-13

みかづき
森 絵都
2018年11月25日第1刷
集英社文庫

「イノシシ年」は、何かと波乱の年となるそうです。新年の賀詞交換の場で、そういった発言を何人からか聞きました。「へえ、そうなんだ」というのが、ぼくの感想。でも、ほんとうに、12年前が波乱の年だったか?2007年・・・覚えていませんが、イノシシは、猪突猛進、ドタバタと走り回るイメージからの言葉かな?

でも、今年は新年早々、熊本で地震、株価は急落後戻りが遅い、韓国との二国間は訳のわからない状況、米中摩擦は出口が見えない、いよいよイギリスのEU離脱、そして、今上天皇のご退位とともに平成の御世から新しい元号に変わるなどなど、いろいろと波乱を予感させる年になりそうです。

特に、韓国との問題は、どうなっているのでしょうか?日本も民主党政権のときに日米関係が最悪の状態になったので、韓国も政権が変われば風向きが変わるかもしれません。とは言っても、それまでに、例えば、徴用工の問題では、日本企業の財産が差し押さえられ、換金される可能性が高いようですが、どうなるのでしょうかね。

積極的無関心で実害がないときは、それでもよかったのでしょうが、日本企業に実害が発生すると、政府としても、外国における日本企業の保護のため、動かざるを得ませんよね。難しい隣人ほど厄介なものはありません。付き合わないわけには行きませんし、かといって、あまり親しくすると鬱陶しいし、「隣人との上手な付き合い方」って本がありそうですね。

余談はこのぐらいで、今年はじめての「読書雑感」です。

文庫本で600頁の長編小説です。「塾」という学校教育とは別の教育に携わる親子三代の物語です。戦後、戦前の軍国教育から民主教育に教育界は大変換し、「教育勅語」から「教育基本法」へと教育憲法が変わっていきました。それから、「学校教育と私塾のありかた」はさまざまな経過をたどったらしいです。

あるときは、「塾」は、学校教育の補完教育であったり、また、あるときは、受験戦争の火種であったり、そのつど、学校教育とのすみわけ、もしくは、文部省からの圧力などに晒されていたらしいです。

均等教育、詰め込み教育ゆとり教育、人格教育などなど、時代に応じて、子供の教育は、どうあるべきか、65年生きてきた中で、自分のこと、子供のことで、経験してきました、ぼくの子供の頃は、塾とは言わないで習い事、たとえば、お習字、そろばん、・・・よい家庭の子は、ピアノ、日本舞踊なんてもので、算数、国語を学校以外で勉強することはありませんでした。

ところが、ぼくの息子の時代には、「公文行くもん」とか「英語の個人レッスン」、果ては、「若松塾」「エディク」などの学習塾に行かないと、学校で仲間はずれにされるという、変な時代になっていました。地下鉄の駅前は、今でも、こういった学習塾が軒を連ねています。

この小説の最後には、シングルマザーなどの家庭の事情で、「塾」に行けずに、学校の勉強が遅れ気味の子供たちへの学習支援ボランティアの活動を「塾」の創始者の孫が始めるところで、戦後、60年の塾の物語は結末します。さらに、学校教育は太陽、塾は月(みかづき「クレセント」)、太陽と月が補完しながら、子供を育てていくという、筆者の理想とする事業も始まっていきます。

年末から年始にかけて、子供の教育について、考えさせられる大河小説でした。