「ミチクサ先生 下」

「ミチクサ先生 下」

伊集院静

講談社文庫

2023年7月14日発行

 

見つつ行け 旅に病むとも 秋の不二

漱石が松山に居たころ、子規と「愚陀仏庵」と名付けた下宿屋に同居していたとのこと。そこから、子規が上京する時に、漱石から子規への鼻向けの一句。

子規は、すでに喀血を繰り返しており、漱石は、その身の上を心配している。「不二」とは、富士山のこと。子規は、この句を短冊に書いて、「子規庵」の病床のそばに飾っていたらしい。

それにつけても、昔の人は、よく血を吐く。漱石は、胃潰瘍で喀血。当時は、蒟蒻を温めて、お腹の上にのせて、胃の血流を良くする民間療法をやっていたみたいです。

 

今、バスケットが熱い。沖縄で開催されているワールドカップを愉しみました。

 

第1次リーグで、ドイツに敗戦、次はフィンランドに、勝利、そして、オーストラリアに敗戦。残念ながら、1勝2敗で二次リーグには進出できませんでした。

 

それでも、フィンランド戦の第4Qに怒涛の攻撃、懸命な守備での逆転劇は、凄かった。コロナ後遺症のため変声で、叫ぶように応援してしまいました。おかげで、声が、一層、変。

 

順位決定戦の第1戦、ベネズエラ。完全に、相手にゲームを支配されて、第4Qの残り6分で15点のビハインド。残り時間×2点が限界。もうだめか?ところが、比江島の8得点連続ポイントから、奇跡の逆転。すご~い!

 

そして、昨日のカーボベルデ戦。第4Q、3点差まで詰め寄られ、冷や汗をかきましたが、見事、逃げ切り勝利。ついに、パリオリンピックの切符をゲット。おめでとう!

 

バスケが終わったら、今度は、ラクビーだ!「頑張れ日本!」

 

と、余談に続いて、先週からの続きで、「ミチクサ先生 下」の読書雑感です。

 

『「実は、夏目さんに小説を書いていただきたいのです」

小説という言葉の響きがさわやかであったのか、金之助も思わず虚子の顔を見返した。虚子は微笑をたたえて言った。

「皆が読みたい小説を書いてほしいんです。」

金之助は腕組みをして、欲張りですな、ホトトギスは、と言って笑った。』

 

漱石に、小説の依頼をしたのは、「ホトトギス」の主宰者の高浜虚子でした。そして、第1作の「吾輩は猫である」は、「ホトトギス」の明治38年正月号、旅順陥落の戦勝記事とともに掲載されました。

 

ここで、もう一人、紹介したい人物がいます。寺田寅彦

 

土佐出身で熊本第5高校の学生の時から、漱石の自宅に出入りをして、常に、漱石に師事していた物理学者です。「吾輩は猫である」の水島寒月のモデルとも言われています。

 

防災の日になると、必ず、お目にかかる寅彦の警句「天災は忘れたころにやってくる」。ただし、寅彦の書き物には、この警句はないというのはほぼ定着。

 

『「先生は笑って庭の築山を指さしておっしゃいました。」

『いろんなところから登って、滑り落ちるのもいれば、転んでしまうものもいる。山に登るのはどこから登ってもいいのさ。むしろ転んだり、汗を掻き掻き半べそくらいした方が、同じてっぺんに立っても、見える風景は格別なんだ。ミチクサはおおいにすべしさ』』