「覇王の家 上」
令和5年年7月15日三十六刷
鶴林寺三重塔
今週のトピックス、何と言っても、ジャニーズ問題ですが、ジャニー喜多川の行為は、弾劾されなければならないのは当然。難しいのは、本人が、すでに亡くなっているため、会社組織のコンプラが問題になっている点。
さらに、難しいのは、その行為が、個人的な性癖であるということ。など、いろいろ考えるとややころしいが、煎じ詰めれば、社長の社員に対するセクハラ、それを組織が、処理できなかったってことですね。
ふつうの会社ならば、経営陣の退任、再発防止措置の徹底、被害者の救済そして、その会社の商品を買うかどうかは、消費者の判断。いいものであれば、買えばいい。どこかの国みたいにみんなで不買運動する必要はないのでは。
NHK大河ドラマの「どうする家康」を観ていて、もう一度、徳川家康の歴史小説を読んでみたいと思い、司馬遼太郎を選択。
徳川家康の歴史小説は、山岡荘八の「徳川家康」を含めて、過去に、数冊読んでいると思いますが、なぜ、もう一度、と思ったのはなぜか。多分、懐かしい人たちに、また、逢ってみたいと思うのと、同じ気持ちじゃないでしょうか?
懐かしい人たち、
松平竹千代をはじめ、築山殿、石川数正、酒井忠次、大久保忠世、本多平八郎、榊原康政、井伊直政など、みんな懐かしい面々です。もちろん、お会いしたことはありませんが・・。
徳川家康との最初の出会いは、子供の頃(小学校3年生の頃)、山岡荘八の「少年徳川家康」(単行本で3冊だったかな?)。これが大好きで、何度も何度も読み返して、懐かしい面々を夢に見るほどでした。
あれから、60年。徳川家康については、その一生を諳んじられるほどでしたが、まあ、人間の特技、「忘却」(忘れ去る)のなせる業。
そこで、もう一度です。
さて、長い、長い、蛇足でした。今年は、司馬遼太郎生誕100年です。この本を選んだもう一つの理由です。
上巻のクライマックスは、甲斐から南下する武田信玄との決戦「三方ヶ原の戦い」
『家康は逃げた。
家康は、三河一揆のときも、一揆兵に追われ、馬上で伏せて身一つで逃げたことが何度もある。かれはこの時期までの半生のうち、戦の負けくずれというものをしばしば体験した。この時代の名のある将のなかで家康ほど敗走の経験の多かった者はない。この点は、漢の高祖に似ていた。信玄や謙信にはこれがなく、信長はまれに戦略的退却をすることがあったが、秀吉にいたっては身ひとつで逃げだしたというような経験は一度もない。
――― 勝ってばかりいて、一度も負けたことがないという人間は、どこかよろしくない。
と、家康は晩年、語っている。』
テレビ番組で「あなたの好きな戦国武将は?」というアンケートがありますが、ぼくのイチオシは、「徳川家康」です。
理由は、280年も続く、徳川幕府を創設したからです。簡単!