「覇王の家 下」

「覇王の家 下」

司馬遼太郎

新潮文庫

令和5年年7月15日三十六刷

 

スマホ機種交換

5年1か月、お世話になったスマホの機種交換。写真は、交換前のものです。交換機種は同じ、シャープのアクオス。バッテリーの状態が悪くなったので、値引きのDMに誘われて、ついつい。

いつも思うのですが、機種交換は、アプリの移行が大変。聞くところによると、ソフトバンクは、引継ぎが簡単とのこと。ドコモでは「ないの?」って言ったら、セキュリティの問題があるとのこと。う~ん ???

まあ、ボチボチですね。これも、愉しみながら。

 

阪神が、18年ぶりに「アレ」→「優勝」。大阪、神戸は、どうも、大変、盛り上がっているようです。

 

ぼくは、田舎者なので、子供のころから巨人ファン。なぜなら、田舎は、巨人戦以外のテレビの放映がありません。マスコミの力は強い。結局、自然と巨人ファンになってしまいました。

 

近頃は、WBCのときは、野球ファン、世界陸上のときは、陸上ファン、世界水泳の時は水泳ファン、そして、今、ラクビーワールドカップのときは、ラクビーファン、昨日から、バレーボールワールドカップ、そのときはバレーファン。

 

結局、「日本」のファンってことですね。

 

余談はここまでで、先週に引き続き、「覇王の家 下」。

 

下巻のクライマックスは、小牧長久手の戦い。本能寺の変以後に、明智光秀を討伐した羽柴秀吉織田家を簒奪して、畿内全域を手中に収めました。が、東海では織田信長の同盟者である徳川家康は、秀吉に対抗しています。

 

そのため、秀吉軍8万と家康軍2万が、小牧長久手で激突。その戦いの場面が、史実に照らしながら(だと思いますが・・)詳細に書かれています。勝敗の結果は、小牧の本陣では、双方、睨み合い。長久手の先方戦では、家康の勝利。

 

さて、この頃から、司馬歴史小説は、登場人物である、織田信長豊臣秀吉徳川家康、さらに、石川数正本多平八郎などの性格、行動、心理などを細かく分析して、その人物像を描き出すことに注力しています。

 

そのため、歴史的な事実から離れてしまう・・・ここが、「余談ではあるが、・・・」「一説によると・・・」などの接続用語で、繋げられてしまう。

 

また、この小説では、たびたび、家康の健康志向が紹介されています。

 

『家康はつねづね十数段の引き出しのついた薬箪笥まで持っており、そこに家康自身が処方して作らせた各種の薬が入っている。しかも家康は医者だけしか持っていない「和剤局方」という薬剤の書物を戦陣のあいだも道中においても身辺から離さず、ほとんどその内容を諳んじていた。』

 

 

家康は、大坂夏の陣を終え、後顧の憂いを除いて、その翌年、74歳で生涯を閉じます。司馬さんの観察では、家康は、物事の決断をしない(家臣団の総意を尊重)、気の小さな性格、「どうする家康」は、この司馬さんの家康だったのです。