あれから・・・

あれから・・・

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あれから、1年。


「あれから」とは、ぼくが、無所属になってから、という意味です。いろいろな環境の変化で、あれやこれやと、悪あがきをしたので、その間、時間の流れを遅く感じたこともありました。とくに、昨年の7月、8月は、長かった。しかし、過ぎてしまうと、あ~、もう1年が過ぎたかと、そう感じています。


無所属になる前に、「こんなこともやってみたい、あんなこともやれるかも」と、夢は、膨らませていましたが、結局、何もなすことはできなかった。ただ、無為無策に、1日が、小川に浮かぶ笹船のように流されていきます。1日は、気がつけば、もう、夕方か。その連続でした。


とくに、今年の3月~6月まで、コロナの災禍で、日本はおろか世界が緊急事態となり、日常生活が破壊されました。いま、日本の緊急事態宣言は解除され、「新たな日常生活」「withコロナ」がスタートしました。


ぼくは、そもそも無所属なので、自粛生活と言われても、まあ、リストアップしていた県内外への日帰り旅行が行くことができなくなったり(もともと、旅行が嫌いな性格が、ここでは、ラッキーでした。)、テニスがクローズになったり、大学の図書館がクローズになったり、友人とのdrinking party ができなくなったり、・・・。


まあ、その程度ですが、結局、在宅で細君と過ごす時間が、とても長くなったということです。この間、細君との関係を良好に保つために、家事の分担が増え(というか、ゴロゴロしているわけにもいかず、自然と、体を動かすようになった。)、それはそれでいいのですが、今後、これが変わることはないでしょう。


これも、「新たな日常生活」です。


さて、緊急宣言が解除されて、テニスは、復活しました・・・が、2か月のお休みのため、どうも股関節を傷めたようです。右ひじにも痛みがあります。この歳になると、継続していないと油切れになって、故障の原因になるようです。アイドリングのあと、そろりそろりと再開ですね。


大学の図書館は、7月からオープンになりました。早速、流通科学大学に行ったら、学生さんは居なくて、常連の一般の方が2~3人雑誌を読んでいました。そのうちの一人がぼくですよ。話題となっている「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっととブルー」が陳列台にあったので借りてきました。


図書館の自習室での読書は、自宅と異なり雑音がないので、集中できますね。ところが、もう一か所の神戸外国語大学は、まだ、自習室の利用は自粛して下さいとのこと。市立は、慎重です。


ぼくも、自粛中の県内外の日帰り旅行と友人とのdrinking partyは、まだ再開していませんが、そろそろと思っていたら、最近、東京方面で、嫌な動きが出始めています。こちらは、まだまだですかね。


そんなこんなで、無所属の2年目は、「新たな日常生活」としてスタートしました。さて、どうやって「新たな日常生活」を「おもしろき生活」とするか?新たな模索が始まりました。これも、愉しむ心映えが必要です。エイエイオー!

 

「じっと手を見る」

「じっと手を見る」
窪美澄
幻冬舎文庫
令和2年4月10日初版発行

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人の顔を描くのは、難しいです。山藤章二の「似顔絵」(岩波新書)によると、「似せて描こうとする場合、何が一番ポイントかというと、ふつうはヘアスタイルなんです。顔といいながら、目でも鼻でも口でもなくて、ヘアスタイル。そこから似せると、まず6~7割は似てくる。」


たしかに、黒柳徹子のように、特徴のあるヘアスタイルであれば、そうかもしれませんが、一般人は、そんな特徴的なヘアスタイルの人はいない。そこで、あるテレビの番組で、簡単な似顔絵の描き方を紹介していました。


①まず、輪郭と(やはり)ヘアスタイル
輪郭は、長方形、正方形、ベース型、長丸、真ん丸、三角形、逆三角形、ひょうたん型など大胆に書く。ヘアスタイルは、特徴をおおげさに。
②顔の配置
9等分して、目、鼻、口の位置の目安をつける。真ん中よりの顔、目の離れた顔、鼻の下が長い顔など、これも特徴をおおげさに。
③目、まゆげ
細かく書かない。上がり目、下がり目、大きい目、小さい目、その程度に。
④鼻
丸い鼻、三角の鼻など大胆に
⑤口
優しいイメージは谷型、怖いイメージは谷型、その程度


そこで、書いてみました。それぞれ、ひょっとして「オレ」かも、と思われる方、ご不満はあるとは思いますが、ジョークと思って勘弁してください。あっ、最後に、着色しない(素人は)とのこと。


またまた、余談が長くなりました。似顔絵とは無関係な「じっと手を見る」


介護職の「海斗」と「日奈」の物語。二人は、介護の専門学校の同級生。富士山を望む街で、介護の仕事に従事している「海斗」と「日奈」は、恋人未満、友達以上の関係。それでも、同棲生活をしていますが、日奈は、なぜか、今の生活に満足できていませんでした。


そんなときに現れた「宮澤」を追って、街を出ていきます。一方、海斗は、街に残って、新たな出会いがありますが、それも、幕をとじました。


この二人、どうなるのかな?と、思っていたら、・・・・。

 

『今年の春も四人の新人が入ってきて、すでに二人やめた。
そりゃそうだ。若いやつらにとって楽しい仕事じゃない。
毎日、毎日、皺だらけの老人に囲まれていれば気も滅入る。自分が世話をしていた利用者が死んでいくことも多い。だけど、確実に食べられる。贅沢をしなければ。ただし、そのことの有り難さに気がつくのは時間がかかる。自分の価値とか、仕事のやりがいとか、そんなことにこだわっているやつらほど、時間をおかずにここを離れていく。自分はこんなところにいるべき人間なんだ、と割り切るまでは、俺だってずいぶん時間がかかった。いや、今だって割り切れてはいないのだ。』

 
介護の現場をテーマにしながら、若い二人の心の動きを表現して、読者が、場面場面で「そじゃないだろ」「そうかも」などの感想を抱えながら楽しめる小説です。窪さんの本は、二冊目だと思いますが、ファンになりそうです。

「競馬どんぶり」

「競馬どんぶり」

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久しぶりに、マクドナルドのドライブスルーに入りました。何をどうしていいのか、解らなかったのですが、親切な誘導で、モタモタと注文をして、無事、商品を受け取ることができました。


若い人は、できないことが、どんどん出来るようになる。歳よりは、できていたことが、どんどん出来なくなる。とは、自虐ネタです。


注文したのは、マックバーガー、チーズバーガー、ポテト、マックシェイク(バニラ)・・・昔からの定番。お代は、500円のワンコインです。もちろん、お持ち帰りで、自宅で、トマトのスライスとレタスをトッピングします。Um. It’s delicious.
さて、先週、競馬のことを書いたので、悪乗りして、つづきを書きます。


ぼくの競馬のバイブルは、「競馬どんぶり」(浅田次郎 幻冬舎アウトロー文庫 平成12年発行)でした。話はそれますが、幻冬舎アウトロー文庫って、すごいネーミングだと思いませんか?事実、反社会的勢力の小説や官能小説がメインですが、浅田次郎さんが、この文庫から数冊出しているうちの一冊が「競馬どんぶり」です。


浅田次郎って、ご存知ですよね。「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞を受賞して、「壬生義士伝」「黒書院の六兵衛」など、最近は、「大名倒産」など、とにかく、精力的に出版されている人気作家です。そのお方、無類の競馬好きであることは有名です。

『まさに競馬は熟慮型のギャンブルですね。
そういう意味では麻雀とすごく対照的です。麻雀は待ってくれないから。
だから同じギャンブルでも、麻雀がうまい=競馬がうまいとは言えない。麻雀で使う脳みそと競馬で使う脳みそは明らかに違います。麻雀というのは瞬間的な判断力、要するにシャープなヤツに向いているギャンブルです。
競馬にシャープさは全く必要ない。競馬はじっくりと、あらゆるファクターを考える熟慮型の人間が向いている。』

 
ぼくは、若い時は、麻雀も競馬も、両刀使いでした。「向いている」という意味が「勝つ」という意味であれば、ぼくは、両方とも向いていなかったようです。いったい、どれだけ、負けたか?考えると恐ろしくなります。

『勝って初めて、競馬をやって良かったなと言えるんです。
競馬が好きだ好きだって言いながら、負ける競馬はただの苦労だよ。勝って初めて面白いんだから。
当たった競馬っていうのは、嬉しんだよ。あの充足感のためだけに行っているんだから。負けるために行っているわけじゃないんだから。
負けてもなお面白い競馬なんてあるはずは、ない。』


それは、ギャンブルは、すべて共通でしょう。好き好んで負けるのを喜ぶもの好きはいないでしょうね。


さて、そこで、秋のG1シーズンに向けて、ぼくからの分析です。


春のG1では、全9レースで1番人気が、1着7回、2着2回と、すべて連に絡んでいます。そこで、仮に。1番人気の馬を軸にして、6番人気までを馬単マルチで10点、1000円、購入すると、どうなったか?投資額9000円で払い戻し6440円。きっちり、JRAの取り分は収めていました。


ただし、当たりが5回なので、なんとなく当たった感はあります。外れたレースは、いずれも高配当で、穴馬探しが決め手です・・・が、これが、難しい。


そこで、秋への提言ですが、今の競馬、とくにG1レースでは、強い馬が実力をいかんなく発揮しています。とくに、3歳牡馬コントレイルと3歳牝馬デアリングタクトは、無敗の三冠馬となる可能性があります。そして、アーモンドアイという絶対王者もいます。ということで、引き続き、1番人気の馬を軸に5番人気までの馬単マルチ+穴馬2頭をチョイスして勝負する。これで、JRAの取り分を奪取して、上積みを図りましょう。


考え方が、堅実ですね。ぼくは、ギャンブルには向いていないようです。

「良寛」

良寛
水上 勉
中公文庫
2019年5月25日改訂6刷

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先週、安田記念で、絶対人気のアーモンドアイ(5歳・牝馬)が負けました。単勝人気1.3倍。当然、アーモンドアイの一着固定で、馬単で勝負。結果は、残念!


最近、競馬のことを書いたことがありませんが、ぼくは、こうみえても・・・どうみえているか分かりませんが、競馬歴約45年の・・・競馬ファンです。中央競馬場は、すべて制覇(札幌、函館、新潟、福島、中山、府中、中京、京都、阪神、小倉)。まあ、自慢にはなりませんが。


あれは、22歳のとき、ところは、水道橋の後楽園の場外馬券売り場、なぜ、そこに行ったのか記憶にありません。どのレースを買ったのか、記憶にありません。ただ、キクノオーとウェスタンリバーという馬名は覚えています。千円が一万円に変身した、いわゆるビギナーズラック。


それから、45年、風邪をひかない年はあっても、勝ち馬投票券を買わない年は、ありません。若い時は、毎週、土日の特別レース(9~11レース)は、必ず、投票していました。赤ペンで印の入った競馬新聞が、半年分、溜まっていました(春・秋のG1シーズンが終了すると廃棄。)


今では、資金も気力も無くなったので、春・秋のG1レースだけは、投票に参加させていただいています。今年も、28日の宝塚記念で、シーズン終了です。コロナの影響で、無観客レース。ぼくの45年の歴史の中で、経験はありませんが、ただ、今年の春のレースは、例年に比べて、一番人気の勝率が高いそうです。


たしかに、春のG1レースの10レース中、一番人気の勝率8割、あと2割も2着という結果でした。おかげで今年は、珍しく、損をしていないという稀有な結果となっています。まあ、競馬はゲームですから、損をしなくて遊べるのが一番です。


ついつい、余談が長くなりました。


良寛さんといえば、皆さんご存知でしょうが、どういったイメージでしょうか?
子供と手鞠歌を歌いながら戯れるお坊さん。では、どういったお坊さんだったのか?その実像は?それに迫ったのが、水上勉の「良寛」です。


ときは、宝暦八年(1758)十二月、新潟出雲崎にて名主の山本以南の長子の栄蔵として生を受ける。ご時世は、第9代将軍徳川家重のもと田沼意次が権勢を奮っていました。長じて、名主見習いとなった栄蔵ではあるが、十八歳のとき、とつぜん、家を捨てて出家する。その詳細については、「良寛」にあります。


『なにゆえに 家をいでしと 折りふしは 心に愧じよ すみぞめの袖』


出雲崎を訪れていた備中玉島の円通寺住職 大忍国仙とともに、諸国行脚の旅をして、円通寺で曹洞派の僧堂生活を12年間実践する。といっても、その間の確たる史実は残っていないらしい。わずかに、民間伝承として、土壁にもたれて昼寝をしているか、子供たちと手鞠などをして遊んでいるか、厳しい修行をした様子はないようです。


国仙遷化の直前、『良也如愚道転寛 謄謄任運得誰看』の印可の偈が与えられる。ここに大愚良寛が誕生した。


その後、円通寺を出て、またまた、諸国行脚の末、故郷の出雲崎へ戻り、国上山五合庵で、まさに詩歌三昧で托鉢の乞食坊主の生活を送った。大愚良寛は、大きなお寺の住職でもなく、聖職者として後世を残したわけでもなく、ただ、何物にもとらわれず、文藝の徒として生涯を送った。


天保二年正月六日、貞心尼に看取とられて七十四歳の生涯を終えた。


『うらをみせて おもてをみせて 散るもみじ』


どうしても、ぼくの疑問は、なぜ、良寛が後世に名を遺したか?在世のときは、乞食生活・・・しかし、その後、良寛の残した漢詩、和歌、俳句、書画などが評価されたのでしょうが、新潟の片田舎の文芸家の発掘のその事情が知りたい。

「路(リウ)」

「路(リウ)」
吉田修一
文春文庫
2020年1月20日第4刷

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緊急事態宣言が解除されて、学校が試運転で始まりました。子供たちの姿が公園から消え、以前の静かな朝の公園が戻ってきました。


ぼくは、図書館の自習室が閉鎖されたままなので、新しい日常生活を模索しています。といっても、そんな大層なことではなく、今日行くところも、今日の用事もないので、朝夕の散歩に精を出すのみです。


散歩のとき、必ず、手に持っているのは、護身用?の杖。いや、護身用ではなく、歩くときに持っていると、なんとなく調子(リズム)がよくなり、早歩きが容易になります。  それに、公園でストレッチをするときの補助具としても使えます。また、ソーシャル・デイスタンスを守る道具にも。


杖は、竹製。ホームセンターで買ってきて、手ごろな長さ(1メートル30センチ)にカット。石突きをつけて、手元をカラフルな紐で巻いたので、ちょっと、イイ感じ。竹杖(ちくじょう)と呼んでいます。


ここで、ちょっとした技は、「カラフルな紐の巻き方」。釣り竿のロッドビルディングのスレッドの巻き方を参考としました。竹に糸をまくという、同じ作業ですね。


でも、これをもって、歩いていると、やや怪訝な視線を感じますね。水戸黄門みたいな杖が理想的でしたが、あれは、アカザという植物の茎らしくて、なかなか手に入らないようです。まあ、そこまで、凝ることもないか。


この本を読んでいたら、「路~台湾エクスプレス」。主演 波留 のNHK総合土曜ドラマが放映されていました。観たかったのですが、小説が面白くなくなると思って、我慢しました。すると、本には、カバーをしていたので気が付きませんでしたが、今、カバーを取ると、帯に、しっかりと日台共同制作ドラマ化決定と書いてありました。なんだ~!


 2000年、台湾新幹線に日本とフランスの高速鉄道技術が採用となり、日本の新幹線の鉄道が台湾で建設されることとなった。商社員の多田春香は、日本企業連合の一員として台湾に赴任することとなります。


 葉山勝一郎は、日本の高速道路建設に従事した建設会社を退職して、現在、隠居中。彼は、戦前、台湾で生まれて戦後、日本に引き揚げてきたという経歴。


 春香は、学生のとき、台湾で一人の青年に会って、再開することを約束していたが、それが果たせなかった。その青年は、日本の建築会社で働いているが、台湾で彼と再会することとなった。


 勝一郎は、台湾に居るとき、台湾の友人との確執で、戦後60年、台湾を訪れることがなかった。しかし、妻に先立たれて、故郷の台湾の友人と再会することを決意する。


 台湾新幹線の建設をバックグランドとして、日本と台湾の戦後世代の若者のつながり、そして、戦前・戦後を生き抜いた世代のつながり、また、自然豊かな台湾の風景の鮮やかな描写、すべてが、感動を呼ぶ傑作でした。


 そういえば、ぼくの母は、台湾生まれの台湾育ちでした。勝一郎と同様、戦後、日本に引き揚げてきた世代です。母方の祖父の家に行くと、台湾から送られてきた置物などがありました。また、季節には、子供のくせに珍味「カラスミ」も食べていました。


 いま、コロナ問題で、中国と台湾の関係が話題になりますが、実は、ぼくにとっては、台湾は、幼い時から身近な土地だったので、この小説は、ほんとうに面白く、また、なぜか親しみを持って読ませてもらいました。

文藝春秋六月号

文藝春秋六月号

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昨年のこと。


佐川美術館に「ZENGA」の展覧会があったので、やや興味があり、鑑賞に出かけました。展示されていた禅画のうち、日本臨済禅中興の祖といわれる白隠禅師(1685~1768)については、ブログに書きました。


白隠禅師の「坐禅和讃」(漢文ではなく日本語で禅について書いている)の一部を紹介します。

衆生本来仏なり
 水と氷の如くにて 水をはなれて氷なく
 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして
 遠く求むるはかなさよ ・・・・』

  と続いていきます。


 さて、もう一人、博多の臨済宗聖福寺の住持で「博多の仙厓さん」と親しまれた仙厓和尚(1750~1837)を紹介します。仙厓さんも、軽妙洒脱な禅画を残しています。その人柄は、「死にとうない」という辞世のことばでも伺えます。

『六十歳は人生の花。
 七十歳で迎えが来たら留守だといえ。
 八十歳で迎えが来たら早すぎるといえ。
 九十歳で迎えが来たら急ぐなといえ。
 百歳で迎えが来たらぼつぼつ考えようといえ。』

 仙厓さん、八十八歳で遷化。


話は変わります。
緊急事態宣言が解除されて、兵庫県は新規感染者ゼロの日が続いていますが、東京や北九州では、あらたなクラスターが発生して、新規感染者が増加しています。恐ろしや、コロナです。


文藝春秋は、五月号も六月号もコロナ特集です。ただし、情勢の変化が激しいので、月刊誌は、情報が古くなってしまいます。そこで、編集部は、いろいろ工夫を凝らしているのでしょう。


現状分析的な記事ではなく、感染症問題、対策として、ある程度、普遍的な記事になっているようです。その意味では、お役立ち情報的な記事があります。


いろいろな記事を読んでいて、結局は、ヒトが免疫力でウイルスを駆除していく、この連鎖でウイルスは、消滅していく以外、ウイルスに打ち勝つ手立てはないのではないか・・・と、いま、感じています。


そこで、ヒトの免疫力をアップする方法を紹介しましょう。


【コロナに負けない心と体を作る。】


筋力は病気のリスクを下げる。筋肉は裏切らない。ストレッチとタンパク質の摂取。おやつに「カニカマ」がいいらしいです。「肩関節・肩甲骨・股関節」をしなやかに動かして快適な体作り。


毎日、入浴で免疫力はアップする。①お湯の温度は38~40度 ②肩まで浸かる全身浴 ③入浴時間は十分間 シャワーじゃダメみたい。


昼間の光が「良質な睡眠」をもたらす。朝、昼、夜のメリハリが免疫力をアップする。
オーラルケアでウイルスを洗い流せ。唾液には、抗ウイルス・抗菌の作用をもつ免疫物質がある。唾液力を高めるため、あさイチの歯磨きを


全身の免疫機能を司る腸内フローラを活性化させよう 食物繊維を多く含む食事、ネバネバ食品、発酵食品で腸内フローラを活性化・・・目指せバナナのような朝のお通じを


要するに、規則正しい生活、適度な運動、バランスの取れた食事そしてお日様の光・・・ですね。皆さま、くれぐれも用心・養生を怠りなく!

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻」

「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下巻」
塩野 七生
新潮文庫
令和2年1月1日発行

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兵庫県は、緊急事態宣言が解除されて、新しい生活様式の日常がスタートします。とはいっても、まだ、バスターミナルには、人はチラホラです。


日経新聞夕刊、明日の話題(JR九州会長 唐地恒二)に面白い小話が掲載されていたので、息の詰まる生活に笑いの風を送ります。

 

『テーマは、18歳と81歳の違い。
道路を暴走するのが18歳、逆走するのが81歳。心がもろいのが18歳、骨がもろいのが81歳。恋に溺れるのが18歳、風呂でおぼれるのが81歳。ドキドキが止まらないのが18歳、動悸が止まらないのが81歳。恋で胸を詰まらせるのが18歳、餅で喉を詰まらせるのが81歳。自分探しをしているのが18歳、みんなが自分を探しているのが81歳。東京オリンピックに出たいと思うのが18歳、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳。社会に旅立つのが18歳、あの世に旅立つのが81歳。早く「20歳」になりたいと思うのが18歳、できれば「20歳」に戻りたいと思うのが81歳。「嵐」というと松本潤を思い出すのが18歳、鞍馬天狗嵐寛寿郎を思い出すのが81歳。
出典はお笑い長寿番組「笑点」の大喜利ネタらしい。』

 
これを読んで、細君と二人で大笑いです。でも、よく考えてみると、81歳の方が近い年齢になってきました。そう思うと、笑ってもいられなくなります。やだやだ、年を取ると「笑い」の対象になってしまうのですね。でも、可笑しい。


 笑った後は、中世ヨーロッパのお話。「皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上巻」の読書雑感は、すでに、ここに書きました。おおむね、2か月の間、フリードリッヒ二世とお付き合いをして、漸く、「下巻」を読了しました。


 「漸く」というのは、やや語弊があります。だんだんと、フリードリッヒ二世と別れるのが寂しくなって、故意に読むペースをゆっくりにしていました。ぼくは、ときどき、面白い小説にはまってしまうと、読了するのを惜しむことがあります。フリードリッヒ二世も、その一冊です。


 さて、この本を読了して得たことは、宗教の恐ろしさです。現代は、政教分離というルールは普遍的なイデオロギーですが、中世ヨーロッパにおいて、このルールの確立を目指したフリードリッヒ二世は、おそろしいことですが、歴史から抹殺されそうになったということです。


 『すべては大帝コンスタンティヌスから始まる』 ローマ帝国最後の皇帝は、紀元313年にキリスト教を公認して、ローマ帝国の領土をローマ法王に贈るという「寄進書」を残したらしいです。が、この寄進書は、1440年にローマ法王庁の誰かが捏造したものであることが実証されました。


 フリードリッヒ二世の1200年代は、まだ、ローマ法王が領土支配権を有していると思われていました。しかし、フリードリッヒ二世は、「法王は太陽で皇帝は月」と考えるローマ法王に反発し、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」という考えで、「法王は神のことを、皇帝は世俗のことを、」今でいう「政教分離」を目指したらしいです。


 そのため、ローマ法王とフリードリッヒ二世との確執は、絶対的なものとなり、その確執は、フリードリッヒ二世没後、彼の後継者らとも続いていきました。このころ、異端裁判など皇帝に対抗する宗教裁判が始まるのです。それから、やがて、時代はルネサンスへと動いていきます。

 歴史って、ほんとうに、面白いですね。