つぶやき、「私の貧幸生活」

つぶやき、「私の貧幸生活」

Y字路 久しぶりのY字路。「病気のデパート」の横尾忠則さん、また、大病を患ったとのこと。でも、復活したようです。まだまだ、お元気で。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

倉本聰さん、募集の「私の貧幸生活」。

 

ぼくも応募しました。275通の投稿があったとのこと。ただし、投稿者は、ほとんどがご高齢の皆様とのこと。ぼくも、高齢か。残念ながら、選から漏れたので、この場で、発表します。

 

「清く、正しく、貧幸に」

             

私のプリンシプルは、評論家の故三宅先生から拝借した「愛妻、納税、墓参り」です。が、無所属の時代となってから、「清く、正しく、貧幸に」を加えました。

 

さて、この「貧幸に」の実践例を紹介しましょう。

 

無所属になって、新たに趣味の世界を広げるのは、ご同輩も同じでしょう。私も、お習字を、カッコよく言えば書道を始めました。月1回の作品の提出に向けて、日々、課題を書き込んでいます。

 

さて、この書道では、「紙」「墨」「筆」の三つのアイテムが必要ですが、いずれも、消費を伴うものです。なるべく、無駄のないように心がけています。

 

そこで、実践例その1

 

紙の節約です。書道は、練習すればするほど書き損じの紙が溜まります。子供のころ、母親が、勿体ないと言って、新聞紙を半紙と同じ大きさに切断した紙で練習していました。そこまでは、やっていませんが、書き損じの紙を保存して、次の練習紙として活用しています。

 

白い部分が残っていれば、そこに、細字の練習もできます。とくに、半切紙は、白い部分が多く残るので、筆順の確認などに活用しています。とにかく、紙は真っ黒になるまで使いましょう。

 

実践例その2

 

次は、墨の節約です。固形墨は、最後まで磨り切ることはできません。どうしても、2センチぐらいは残ってしまいます。この残った墨の活用です。それは、新しい墨と接着させて最後まで磨り切る方法です。

 

新しい墨と残った墨の接着面を、きれいに研磨して、粘り気が出るまで磨った墨で接着します。墨には、膠が含まれているので、その作用を活用するのです。肝心なのは、接着面の研磨です。少しでも、凹凸があると、磨る力に負けて、そこから折れてしまいます。

 

今どきは、墨汁を使う方が多いでしょうが、書道は、墨をするのも修行の一つでしょう。

 

実践例その3

 

さて、最後は、筆です。筆が古くなると、書いているときに筆の穂先が割れることがあります。そうなると、もう寿命かな、と思って捨てていませんか。大丈夫です。これは、筆の穂の根元が墨で固まって「しこり」になっているのが原因です。

 

お湯を張った洗面台で、筆の穂の根元を親指と人差し指で丁寧にほぐします。すると、固まっていた墨が溶けだして、「しこり」がなくなり、新品の筆のように書き味が滑らかになります。ちょっと、指が黒くなりますが、1週間もすればきれいになります。

 

細君の絵手紙用の絵筆も、このやり方で洗ってやって、おおいに喜ばれました。

 

以上、三つの小さな「貧幸」、いかがでしたでしょうか?

 

 

当選した投稿を読むと、正直、日本人の文章能力の豊かなことに驚いています。

 

それにしても、ぼくは、何をやっても、「上手くない」。それなのに、いろいろと手をだしたがる。結局、このまま、「上手くない」人生を送るのだろうが、まあ、これが、ぼくの人生でしょう。

 

と、妙に達観した今日この頃。

「おいしいごはんが食べられますように」

「おいしいごはんが食べられますように」

高瀬 隼子

文藝春秋

九月特別号

 

唯々、修行中 右から、虞世南「孔子廟堂碑」、王義之「集字聖教序」、孫過庭「書譜」の臨書のつもり。お習字を始めて、はや3年。唯々、修行あるのみ。今夏は、午前中から30度超。汗を流しながら、タオル鉢巻きで、修行。細君、「バカじゃない!」

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

(続き、)最近、思うこと。芸事は、手ほどきをしてくれる師匠が必要。お習字、ウクレレ、ハーモニカ、テニス(これは、スクールに行っている・・・が、ちーとも、上達しない)。独学は、難しい。

 

そこで、必要なのが、先人を真似るということ。年金生活で、お教室に通うのは、手元不如意。しからば、「YouTube」のワークショップを活用する。ウクレレ、ハーモニカは、それぞれ、お気に入りチャンネルを登録しています。

 

お習字は、まだ、お気に入りをセレクト中。それよりも、楷書は、虞世南、行書は、王義之、草書は、孫過庭の真似をするのが、いいかも。ということで、その修行を始めましたが、うまく、いきませんね。まあ、ここがスタート。一朝一夕に、上手になるはずはなし。

 

とにかく、生来の生意気な性格、人様に教えを乞うことが苦手。独力で、どの程度、上達するか?どうせ、これで、飯を食うわけでもなく、残りの人生を気ままに過ごすのが、「結構」、というか、それしか無いのです。

 

て、なことを考えていたら、ふと、鴨長明の「方丈記」を読みたくなりました。

 

ここから、本題。

 

今期の芥川賞直木賞は、候補作を含めて、なんと、女性作家が大活躍。男性作家は、一人のみ。史上まれにみる出来事。もはや、文学界は、女性上位の世界。もともと、文学は女性の世界。

 

紫式部清少納言和泉式部・・・・樋口一葉与謝野晶子・・・瀬戸内寂聴田辺聖子いま、読んでいる永井路子・・・数え上げれば、枚挙にいとまない。

 

とくに、ぼくは、女性作家の作品を好みます。有川ひろ、湊かなえ辻村深月三浦しをん瀬尾まいこ原田マハ などなど、こちらも、数え上げれば、きりがない。

 

「おいしいごはんが食べられますように」は、芥川賞受賞作にしては、めずらしいタイトル。ライトノベルみたいですが、・・・?タイトルどおりに食べる、食べる・・・でも、ちょっと、おかしなことも。

 

『「わたしたちは助け合う能力をなくしていってると思うんですよね。昔、多分持っていたものを、手放していっている。その方が生きやすいから。成長として。誰かと食べるごはんより、一人で食べるごはんがおいしいのも、そのひとつで、力強く生きていくために、みんなで食べるごはんがおいしいって感じる能力は、必要でない気がして」』

 

「一人で食べるごはん」がおいしい、と思う今の若い人、これじゃ、結婚しないね。「誰かと食べるごはん」がおいしいから結婚する。食べることの楽しさを失いつつある。これは、多分、幸せなことに飽食の時代が長いからでしょうか。

 

若い人には、「ごはんを食べる」ことは、生き方の大切な一つではなくなっている。そんなことを考えさせる作品なのかな?現代の日本人への「食べる」意識の再確認かもしれない・・・これぞ、純文学。

ぶらり、姫路

ぶらり、姫路

坐禅会 8月は、酷暑のため、坐禅会はお休みの予定でしたが、昨夕、和尚から、暑さの和らいだ夕方の坐禅会の告知。3週間ぶりに「日々新」を念じながら、座りました。が、やっぱ、まだ、暑いですね。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

久しぶりの「ぶらり」。姫路に行ってきました。姫路と言えば、「姫路城」ですが、今回は、姫路と言っても、ひろ~~~いので、郊外の田園地域の方です。

 

まず、細君の要望で、姫路市香寺町の「日本玩具博物館」へ。ナビが、県道から田んぼの中の田舎道を案内。「こんなところにあるの?」と思っていたら、白壁の蔵造りの建物がありました。

この博物館、まったく個人の収集家の施設でした。国内・国外(160か国)の玩具・人形が約9万点、そのうち、約5千点を展示しているとのこと。館内は、学芸員により綺麗に展示されています。

施設も、展示品も、これらが、すべて、個人ものとは驚きでした。「ダッコちゃん」は懐かしいね。当時、大人も子供も、二の腕に付けていましたね。

 

お昼時になったので、近くの「蕎麦屋」を検索。人気店らしい、手打ち十割蕎麦「大寿庵」で大寿庵御膳をいただきました。この店、古民家風で、ゆったりした座敷、囲炉裏端に入店できるのは4組だけ。予約なしで入店できたのはラッキーだったようです。

お腹を満たしたところで、次は、ご朱印を目当てに、「廣峯神社」です。廣峯山山頂の黒田官兵衛の所縁の神社。本殿の裏側に、九星の守護神が鎮まっており、運命星の穴に向かって願い事を三回ささやくと願いが叶うと言われているというパワースポット。

ぼくの運命星「二黒土星」の穴に願い事をささやきましたが、残念、1回しかささやかなかった。ご利益は、ないかも。

 

3時のお茶の時間。書写山の麓にある今年4月にオープンした「御座候 書写山山麓店」へ。このお店、そう、大判焼の「御座候」のカフェ。

大判焼回転焼き、今川焼など地方によって名前は違いますが、姫路では、「御座候」。

 

お店では、もちろん、「御座候」を焼いていますが、ぼくは、小豆のタルト、細君は、小豆のロールケーキ。

また、来ます。今度は、涼しい季節にテラス席で。

 

「ツナグ 想い人の心得」

「ツナグ 想い人の心得」

辻村 深月

新潮文庫

平成4年7月1日初版

 

「残暑お見舞い」 今年の夏は、とりわけ暑い・・・熱いです。ぼくが部屋でゴソゴソしていると、午前中に、30度を超えて、しかも、湿度が70%。気温はまだしも、湿度が高すぎでしょう。もう、日本は、亜熱帯か。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

巻頭のつづき、午前中は、節電に協力して、クーラーを点けていませんが、さすがに、午後は、32度まで上昇すると、クーラーが必要です。そのとき、意識朦朧。

 

会社に行っているときは良かった。行きかえりの暑さを辛抱すれば、事務室は、適温で快適でしたね。どこか。タダで、ゆっくりできて、涼しいところは、ないでしょうか?会社が懐かしい今日この頃です。

 

この頃、ニュースは、「旧統一教会」一辺倒。信教の自由と裏腹の問題であり、難しい問題です。そもそも、宗教は、ある程度は、マインドコントロールはつきものでしょう。「南無阿弥陀仏」も「アーメン」も、神や仏に縋る人間の欲求です。

 

お盆になれば、お坊さんが、カブに乗って走り回っています。檀家は、お布施を払って、先祖供養のため、お経を唱えてもらいます。お寺にお墓があれば、毎月、なにがしかの供養料を求められます。

 

ぼくは、たぶん無信教なので、お盆でも、なにも行事はありません。

 

それでも、お正月は湊川神社に初詣。1年の健康安全を祈願して、熊手、お札、お守りを頂きます。また、ときどき、神社に参拝して、ご朱印を頂きます。

 

そうそう、毎週、龍象院で坐禅会に参加して、「聖観音菩薩」に拝礼します。ときには、「般若心経」を唱えます。

 

あまり議論が白熱して、信教の自由・これは、内心の自由の根幹・を侵害する方向にならないことが肝要です。

 

ここから、「読書雑感」。お盆にピッタリの「ツナグ」です。

 

使者(ツナグ)が仲介して、満月の夜、死者と面会できる。生きている人も死んだ人も、お互いの合意のもとに、1回限りのチャンスである。

 

『死んだ人間と、生きた人間を会わせることができる窓口。

本当だったら永遠に実現するはずのないその面会の依頼を受け、死者と交渉し、場を設定する使者の仕事は、知る人ぞ知る存在で、その存在まで辿れるかどうかはすべて“ご縁”による。そう、先代の使者だった祖母から教えられた。

 どれだけ探しても辿り着けない人もいる一方で、必要な人は不思議と繋がるようになっている。

 そして、その辿り着いた先にあるのが歩美のこの携帯だ。』

 

死んだ人に、もう一度、会えるとしたら、あなたは、誰に会いたいですか?

 

ぼくは、オヤジかな?おふくろかな?でも、チャンスは、1回。一度に二人は、ルール違反。どちらを選んでも、選ばれなかった方がひがみそう。結局、どちらも選べない。

 

この小説は、「ツナグ」の続編です。「想い人の心得」という副題の短編連作になっています。

つぶやき、空調服って

つぶやき、空調服って

これが、「空調服」です。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

暑い日々が続いていますが、みなさま、熱中症には、十分に注意しましょう。

 

さて、今年も、シルバー人材センターから「散水」・・・簡単に言うと「水撒き」のオファーがありました。4回目の夏のオファーです。

 

今年は、左指の不調、左肩の不調と、体調が万全ではありませんが、まだまだ、老け込むわけにはいかないのでお受けしました。

 

「もう、わたしも、古希が近いので、今年は、どうしようかと思っています。」

「何を言っているのです。80歳で、やっている方もいますよ。」

「えっ、そうなんですか?」

という担当者とのやり取りでした。

 

それでも、今年の暑さは、ちょっと異常です。ということで、熱中症対策に、何か、いいアイテムはないか・・・と、考えていたら・・・ピッカ!

 

近所で、工事をしている人たちが、扇風機のついたベストを着ているのを見て、「これだ!」と、思いついたのです。

 

早速、ネットで探すと、これ、「空調服」というのですね。ネーミングとしては、今一つですが、いまはやりの「ワークマン」で、広告によると、五千円ぐらいで売っているとのこと。その程度であれば、熱中症予防のため、買っちゃおうかな?

 

「ワークマン」に行きました。たしかに、「空調服」は、四千五百円でありました。でも、この服、右と左の腰のあたりに穴が開いています。

 

・・・・そうなんです。

 

「ファン」と「バッテリー」は別売りだったのです。「ファン」(三千九百円)、「バッテリー」(七千九百八十円)。あわせて、一万六千円也。

 

しっかりと着込んでいる「空調服」。いまさら、止めるわけにもいかず、買っちゃいました。「ファン」と「バッテリー」も、その場で装着して、ブンブンと音を立てながら、帰宅して、やや、反省。

 

もう2回、「空調服」を着て「散水」に行きましたが、負け惜しみではありませんが、それなりに、快適ですね。そりゃ、そうでしょう、工事現場で、作業の方は、みなさん着ているのだから。

 

とうことで、散歩のときも、風船のように膨らんだ「空調服」を着て、ブンブンと音を立て歩いている老人・・・それは、「ぼく」かもしれません。

話は変わりますが、先日、とあるスーパーで、「お掃除ロボット」を見ました。とあるファミリーレストランでは、「配膳ロボット」も見ました。ついに、アトムの時代がやってきたのですね。余談までに・・・。

「八本目の槍」

「八本目の槍」
今村 翔吾
新潮文庫
平成4年5月1日初版

 

向日葵 小野ひまわりの丘公園の無料摘み取りが先週で終わっていました。今年も楽しみにしていたのですが、残念。6月の暑さで、向日葵も、少し、早めに開花してしまったのでしょうか。

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

またしても、コロナ大爆発。いよいよ、ぼくの身近でも、誰それが感染した、誰それが濃厚接触者になったなどの話題を聞くようになりました。4回目のワクチン接種済みといえども、油断はできません。


が、聞こえてくるのは、無症状やインフルエンザより楽だという感想、ただし、3回目の接種をしていない若い方は、のどの痛みが酷いようにも聞きました。


兵庫県人口550万人のうち60万人が感染しているわけで、おおよそ10人に一人は感染しているので、ぼくも、もう、何時感染してもおかしくないって感じです。なんとか、逃げ切りを果たしたいところですが・・・・。


さて、久しぶりの歴史時代小説です。今村さんは、「塞王の楯」で直木賞を受賞した、いま、注目の歴史時代小説作家です。

 

天正十一年(1583年)四月、殿下がまだ羽柴秀吉と名乗っていた頃、宿敵の柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いである。
「賤ケ岳七本槍」・・・・
最年長の甚内は、ようやく出世の足掛かりが出来たと興奮していた。助右衛門は喜びこそすれ、自ら誇るような真似はしなかった。己(虎之助)もこの部類である。助作などはむしろ持て囃されるのを嫌うように苦笑していた。孫六は元来出世に頓着が無いのか、茫と皆の輪に加わっていたように思う。
最も喜んでいたのは市松と甚平か。いまだにどちらも、 賤ケ岳七本槍の・・・・。と自らを名乗る時の枕詞のように使っている。』

 


「賤ケ岳七本槍」とは、賤ケ岳の戦いで活躍した秀吉の小姓たちのことです。この七本の槍の中には、佐吉は入っていません。


それぞれ、ご紹介しましょう。


虎之助、加藤清正(のちの熊本城主)=市松、福島正則(のちの広島城主)=甚内、脇坂安治(のちの洲本城主)=助右衛門、糟屋武則(のちの加古川城主)=助作、片桐且元(のちの豊臣家家老)=孫六、加藤慶昭(のちの松山城主)=権平、平野長泰(のちの大身旗本)。そして、佐吉とは、石田三成佐和山城主)です。


小説は、七本槍の七人と佐吉の物語の連作です。この時代の小説は、随分とありますが、この切り口は初めてですネ。


今村さんは、ある対談記事で、司馬史観を越えたいと、言っていましたが、うむ。司馬遼太郎は、歴史的事実にその時代の土地・人などの考察を加えて、独特の史観を展開しますが、この小説は、今村史観というより、今村歴史フィクションのレベルだと思います。


ちょっと、偉そうに辛口でした。

「四畳半タイムマシンブルース」

「四畳半タイムマシンブルース」

森見登美彦

角川文庫

平成4年6月25日初版

 

元町駅交番 元町駅の駅前に、ちょっとお洒落な交番があります。なぜ?鯉川筋を北上すると「海外移住と文化の交流センター」がありますが、これは、ブラジル移民事業と関係しています。神戸市とリオデジャネイロは、姉妹都市でもあり、30周年を記念して、ブラジルの教会をイメージして新築したとのこと。by兵庫県

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

先週、左肩の不調について書きましたが、結局、また、再発して、うむ、やや痛いのです。まあ、これも、加齢によるものと、諦めて、ながい~お付き合いをするしかないのでしょう。痛いところがあるのは、生かされている証拠・・・なんてね。

 

4回目のワクチン接種完了。ファイザーファイザー、モデルナ、モデルナの順番です。翌日、またしても副反応。倦怠感、微熱(37.7)、肩の痛み・・・(これは、もともとの不調との区別がつかない)ですね。

 

やっと、4回目接種が終わったと思ったら、なんと、高齢者は、秋以降に5回目の接種を予定とのこと。やれやれ、1年に2回のコロナワクチン、冬前のインフルエンザワクチンと、ワクチン漬けでゲップが出そうです。2種混合になりませんかね。

 

と、余談はここまでで、森見登美彦さんの「四畳半タイムマシンブルース」ですが、15年前ぐらいに読んだ「四畳半神話大系」の続編ですね。

 

タイトルは覚えていますが、内容は、すっかり忘れました。15年前ですからね。それでも、うっすらと読んだ記憶があるってことは、まだ、まだ、ボケてはいないようですね。

 

同じファンタジーSFの作家さんで万城目学さんも、愛読していますが、森見さんと万城目学さんは、どちらも京都大学出身ですね。そして、舞台が京都というご当地小説が多いようです。ただし、どちらも、多作ではなく、なかなかお目にかかれないのが残念です。

 

さて、「四畳半タイムマシンブルース」。タイトルから想像できるように、モチーフは、「タイムマシン」です。

 

『英国の大作家H・G・ウェルズが小説で「タイムマシン」を発表して以来百年あまり、「時間を旅する機械」というアイデアは、無数の人々によって繰り返し語られてきた。

なにゆえ我々はタイムマシンに心惹かれるのであろう。

それは我々人類にとって時間こそがもっとも根源的な謎であり、誰ひとり逃れることのできない普遍的な制約であるからだ。誰にとっても一日は二十四時間しかなく、泣こうが喚こうが砂時計の砂は絶え間なく流れ落ち、過ぎ去った夏は二度と戻らない。だからこそ我々は「時間を旅する機械」を繰り返し夢見てきたのだ。』

 

京都のある学生アパート、むさ苦しい四畳半で暑い夏を過ごす学生たち。なぜそこにあるのか、突然、四畳半程度の不思議な、まさに、ドラエモンがのっている機械をみつけた。

 

そう、それは「タイムマシン」。「タイムマシン」を見つけたら、はるか遠くに時空を超えて旅行する欲望があると思うが、学生たちは、昨日と今日と明日を行ったり来たりします。そして、そうのうち、時空を乱すことの危険に気づくのです。

 

さて、「タイムマシン」があったら、あなたはどうしますか?

 

ぼくは、怖いので乗りません。飛行機も新幹線も嫌いなぼくが、「タイムマシン」なんて乗れるはずがありません。そんな「夢の無い」ぼくでした。