「忍びの国」

tetu-eng2011-07-18

忍びの国
 和田 竜
 新潮文庫
 平成23年3月1日発行
 平成23年5月25日四刷
 580円

読書雑感の前に、二つ。馴染みのスナック「A奈」が、東門街から生田新道に移転しました。6月29日に旧店を閉めて、7月15日に新店のオープン。店主のバイタリテイに脱帽します。商売は、常に、前に向いて、足を止めずにポジイテブに進むことが必要であることを学びました。今朝、NHK朝ドラ「おひさま」の前編の総集編を、滂沱の涙を流しながら見ました。流石、NHKです。このような家族ドラマは久しぶりです。マスコミ各社には、こういったドラマ作りをお願いしたいものです。
さて、読書雑感です。「忍法帖シリーズ」といえば、山田風太郎さん。私は、時代小説のジャンルでも、伊賀、甲賀などの忍者もの、忍法ものは、あまり、読んだことがありません。何故かというと、表現が残忍な感じ、内容が残虐な感じがして、正直、好きになれないからです。したがって、山田さんの本は、読んだことがありません。辛うじて、記憶に残っている忍者もの、忍法ものといえば、「鳴門秘帖」(吉川英治)、「梟の城」(司馬遼太郎)などぐらいでしょうか?それなのに、この本をチョイスした理由は、ひと言でいえば、気紛れです。ジュンク堂の文庫本コーナーに、積んであったので、「うん、久しぶりに忍者ものでも読んでみようか?」ということです。

『この時期の伊賀の国(戦国期 天正四年(1576年)では、戦国大名が不在の中、六十六人の地侍たちの間で、「伊賀惣国一揆」なる一種の同盟が結ばれていた。
 この同盟の内容は、「伊賀惣国一揆覚書」として明文化されている。
 その第一条には、
「他国の者が当国に入った際は、惣国一味同心してこれを防ぐこと」
と掲げられ、この一揆が純然たる軍事同盟であったことが示されている。
この六十六人の地侍から選出されたのが、「十二家評定衆」と呼ばれる十二人の地侍たちである。天正四年のこの時期には、百地三太夫と下山甲斐も評定衆の一員となっていた。』

織田信長の次男信雄(のぶかつ)は、この時期、伊勢の守護職北畠具教(とものり)の六女凛を娶り、養子となり、北畠信雄と名乗っていました。信雄は、父信長の命を受け、養父具教を暗殺し、伊勢の国は、織田家支配下となります。伊賀の国は、その隣国となりますが、この時期、伊賀の国は、何人の支配下にもならず、いわば、独立小国でした。その理由は、この国が忍び軍団で、各戦国大名に、忍びの者を派遣していた、いわば「忍び派遣国」として、権力のバランスボールの上に、乗っているような存在だったからです。
ところが、信長の覇権は、この伊賀の国にも及んできます。「天正伊賀の乱」は、「伊乱記」として、歴史上の記録として残されています。この小説は、史実をベースにして、史実に壮大なフィクションを混ぜ合わせて、「無門」という伊賀一番の忍者の生きざまをモチーフとして、戦乱を生き抜く伊賀忍者軍団の物語です。この小説には、私の持っていた忍者もの、忍法もの、という暗いイメージはなく、少し、コミカルな場面が、小説全体に明るさをもたらしています。

『自らの姿を晒しながら他人に化けるなどして敵方に潜入することを「陽忍」という。これに対して、姿を見られぬまま忍び入ることを「陰忍」と伊賀者は呼んだ。
 まず、横這いになった。『万川集海』にある「鶉隠れの術」であるが、術というほど大げさなものではない。単に目の光を敵に悟られないがために壁や地面に腹這いになるだけのことである。』

この小説では、所々に、忍術の紹介もあります。