「永遠の0ゼロ」

tetu-eng2013-11-17

「永遠の0ゼロ」
 百田尚樹
 講談社文庫
 2009年7月15日第1刷発行
 876円(税別)

 漸く、読みました。別に、読むのに時間がかかったわけではありませんが、そもそも。いわゆる戦争小説、特に、まだ、歴史の1ページとは言えない日華事変、太平洋戦争は、僕の読書趣味のジャンルになかっただけです。が、あまりの大ヒット作品であれば、時代に取り残されないためにも、ジャンルを問わず一読は必要でしょう。僕が、戦争小説を好まない理由は、戦争の勇ましさが強調されて、その悲惨さ、非人道的な行為などが美化されている場合があるので、あえて、目を覆っているのです。もちろん、僕は、戦争体験世代ではありません。

 しかし、父は、上海で応召され、中支派遣軍として従軍し、母は、台湾生まれ育ちで、いずれも、終戦後、復員するのには、大変な苦労があったようです。父は、花火が大砲の音に似ているとの理由で嫌っていましたし、母は、空襲の音を思い出すなどと言っていましたが、両親ともに、戦争体験を多くは語ろうとはしませんでした。70年前の戦争を忘れてはなりませんが、その戦争を、一言で語りつくすこともできません。戦争小説は、戦争のある一面は表現できても、それが、すべてではないということです。

 したがって、戦争小説は、質の良いものを読むことが必要です。

 この小説のあらすじは、二十六歳になる司法試験浪人の健太郎が、或るきっかけで祖父の生きた足跡を調べることとなり、祖父が特攻隊員として戦死していたことを知ります。ここからは、ありがちなストーリですが、調べのために各地の戦友会に照会し、祖父の知人を探しては、その知人に面談して、祖父の人となりを聴く行脚をし、その過程で、この戦争というもの、また、特攻という行為の本質を見極めようとするものです。

 このおじいちゃん、戦闘機のパイロットですが、この戦闘機が、いわゆる「零戦」。僕たちの子供の頃には、プラモデルで「零戦」「紫電改」などを組み立てて遊んだものです。おっと、思い出しましたが、そう言えば、「戦艦大和」「戦艦武蔵」などの軍艦のプラモデルも組み立てて、やがては、埃をかぶっていました。プラモデルは、組み立てる過程が面白いのであり、出来上がってしまと捨てるに捨てきれないものになってしまいますね。もっと、思い出しました。僕の通った幼稚園は、旧陸軍の兵舎でしたし、近くの練兵場には、まだ、防空壕が残っており、恰好の遊び場になっていました。僕の世代は、戦争残影世代とも言えますね。

 話を小説に戻しますが、「永遠の0ゼロ」は、今の若い人には、読みやすくなっています。少なくとも、大岡昇平の「俘虜記」と比べると。このおじいちゃんのような日華事変から真珠湾攻撃ラバウル、レイテ、ガダルカナル沖縄戦などの歴戦の戦士が実在したかどうか別として、太平洋戦争の戦いの過程が判りますが、やや、網羅的になっている点が気になります。そのため、小説の主題が曖昧になっているというのが欠点でしょうか?そうは言っても、やはり、「戦争」は「悪」であり、「命」は「地球より重い」。このことは、若い人に理解してほしい点だと思います。日本とアメリカが戦争をしたことを知らない世代の人のために、この小説が、少しでも、戦争がクレージーであることを教えてくれることを期待しています。そのことは、時の為政者も国民も、すべてがクレージーになってしまう恐ろしさだと思います。日本国憲法の前文を批判する識者もいますが、僕は、バイブルのように崇高な理想を掲げているものだと思います。

 最後に、戦争小説が、歴史小説に変わるには、どのくらいの時間が必要なのでしょうか?早く、戦争小説というジャンルがなくなればいいのに、そう思います。