「思い出のとき修理します」

tetu-eng2012-11-11

「思い出のとき修理します」
谷 瑞穂
集英社文庫
2012年10月16日第2刷
600円(税別)
久しぶりの東京出張。私には、「無くて七癖」と言うよりは、少し、不具合があります。乗り物が、苦手なことです。とりわけ、新幹線の「のぞみ」「ひかり」が嫌いです。そのため、東京出張は、「こだま」を利用しますが、神戸から4時間余の時間がかかります。まあ、「のぞみ」と比べると1時間半程度の余分ですが、乗車する列車が限定されるという不便さは、どうにもなりません。名古屋、新大阪で、八艘跳びのように、列車を乗り換えながらの「旅」ですね。何故、そんなおバカなことをするのかって、うむ、私が知りたいくらいです。7年前は、平気だったのですが、「ある日、突然」。その「ある日」が修理できれば、不具合が良くなるのかも。
 「思い出のとき修理します」って、とてもロマンチックなタイトルです。紀伊国屋書店で、ブラブラしていて、平積みの文庫本から見つけました。

『 小さなショーウィンドウの片隅に、そんなふうに書かれた金属製のプレートを見つけ、明理(あかり)は足を止めた。
 ノートくらいの大きさで、フレームスタンドに立てかけられている。ブロンズ色の板に銀色の文字が貼りつけられているが、ウインドウの中が薄暗いので、よく見なければ何とかいてあるのかわからないくらいだった。
 ”おもいでの時 修理します”
 しかし何度確かめても、確かにそう書いてある。どういう意味だろう。その場に突っ立って、明理は首を傾げる。』

 開発から取り残された「津雲神社通り商店街」。最近、こういうシチュエーションの小説が多く見受けられます。先日読了した「花咲小路四丁目の聖人」もそうでした。小説の舞台として、書き易いのでしょうか?そもそも、ノスタルジックなイメージで、なんとなく、読者に安心感を与えるのでしょうか?映画でも「三丁目の夕陽」などのヒットは、世知辛い世相のなかで、昭和的な雰囲気に憧れと懐かしさを持っているのでしょう。昭和は、昭和で、それなりに世知辛かったとは思います。「あの頃は良かった」なんて、何時でも、そう言うのです。「思い出のとき修理します」も、「あの頃は良かった」とおなじ意味じゃないでしょうか?
 小説は、連作短編形式です。幼い時の記憶をたどりながら、「津雲神社通り商店街」に戻ってきた仁科明理は、そこで、件(くだん)のプレートを見つけました。そこは、時計屋さん。同い年(二十八歳)の飯田秀司が、一人で、時計の修理をしていました。ちょっと、華奢だが、かわいい系の顔立ち。初対面から、なんとなく、なんとなく、です。もう一人、茶色い頭で、ピアスに、首には、チェーンをチャラチャラさせた作務衣姿で、津雲神社の社務所の二階で生活している大学生の太一くん。

『「このお店って、何屋さん?」
 「ああ、時計屋だよ。入り口に看板があるんだけど、気づかなかった?飯田時計店」
 そうだったんだ。
 「じゃ、時計の修理を・・・・・?」
 「うん、昔は新品の時計を売ってたんだけど、修理の依頼の方が多くてね」
 つまり、”おもいでの時”、ではなく、”おもいでの時計”だ。シューウィンドウにあった金属製のプレートの文字は、板に上から貼り付けられていた。”計”の文字だけがはずれたのかなくなっていたのではないだろうか?』

 でも、「時計屋さん」への時計の修理の依頼には、なぜか、時計にまつわる過去があります。三人の不思議な体験が、緩やかな時間の流れを感じさる小説です。