「これにて一人前と心得よ」


先週、母が亡くなりました。父が、平成17年に亡くなって、ちょうど8年。私にも、母にも、様々な出来事がありました。私は、故郷で1人暮らしをしていた母に何もしてあげることができなかった。そのことは、今更、悔やんでも、仕方ありません。遠く離れた親子というものは、成程、そういうものなのでしょう。私が、十八の歳、故郷を離れるときに、父が言っていました。

『男子たるもの、一度、故郷を出て行けば、親の死に目には逢えると思うな』

そして、父が老いた頃に言っていました。

『住む場所は遠く離れていても、心は、お互い繋がっている。だから、寂しくはない。心と心は、何時でも、逢えるものである。』

大正生まれの父でしたが、母も、きっと同じ『想い』だったのでしょう。父が亡くなった後、母が建てたお墓の墓碑銘は、『想』の一字でした。そのお墓で待つ父のもとに、母は逝きました。父と母の命日は、奇しくも、同じ日なのです。

人口問題研究所の発表によると、

『18歳以上人口のうち、自分の親が少なくとも一人生存している者68.1(64.1)%、両親とも死亡している者31.9(35.9)%。親が生存している人のうち、両親がともに生存している者45.9(42.0)%、母親のみ生存している者18.8(18.5)%、父親のみ生存している者3.4(3.6)%であり、長寿化で5年前に比べて全体的に親の生存状態は良くなっている。』

 もちろん、加齢に伴い親の生存率は低下するが、60〜65歳層でも、28.5%の人は、少なくとも一人の親が生存しているとのことである(配偶者の親も含む)。親が長生きすることは、幸せなことですが、日本の社会で、これまで経験したことのない様々な問題も、出現してくるでしょう。そのことが、大きな社会コストとなり、また、老老介護などの社会問題となってきます。医学が進歩して、生まれる時には出生前診断で出生を左右され、死ぬ時には、延命治療で死期を左右されます。もはや、ここまで、神の領域に人間が踏み込んでいいものでしょうか?

 話は、大きくそれてしまいましたが、私は、二親を亡くしましたので、漸く、『これにて一人前と心得よ』とのことでしょう。私も、故三宅久之翁に倣って『愛妻、納税、墓参り』をプリンシプルとしたいものです。・・・『納税』は、『できるだけの納税』かな。