「春を背負って」

tetu-eng2013-03-10

「春を背負って」
 笹本 稜平
 文藝春秋
 2011年5月30日第1刷発行
 1500円(税抜)(神戸市立西図書館)

 山小屋は、四年前に亡くなった亨の父親である長嶺勇夫から引き継ぎました。

『父が赴任したのは長野県南佐久郡川上村。西には八ヶ岳連峰、南には甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)や国師ヶ岳(こくしがたけ)、金峰山(きんぷだん)などの名峰が連ねる奥秩父山塊の核心部。山好きにとってはまさに垂涎の土地だった。』

 中学校の教師だった勇夫は、そこで、知人の紹介で山小屋の仕事を引き受けることとなった。その後、登山道の整備に心血を注いだ。

『梓小屋と名づけられたその小屋は、甲武信ヶ岳国師ヶ岳を結ぶ稜線のほぼ中間から長野側に少し下った沢の源頭にあった。千曲川支流の梓川の谷の上部に位置することからつけられた名前らしい。
 近くには二千二百約メートル台の眺望に恵まれないピークがあるだけで、疲れてその先の山小屋まで着けなかったり、天候の急変で停滞を余儀なくされたやむなく立ち寄る、いわば避難小屋に近い性格の小屋だった。』

 亨は、電子機器メーカーに勤めていたが、仕事に意欲を失いかけてた時、父が亡くなったことが機会となり、父の跡を継いで梓小屋に入りました。主人公の亨。亨を手助けするちょっと不思議な初老の多田悟郎。二人の山小屋の住人の山小屋という特殊な世界での様々な出来事を題材として、山の厳しさ、山の魅力、山の美しさを、そして、山で暮らすからこそ解る人生そのもの機微について、書き綴っています。

『「つまりね、人生で大事なのは、山登りと同じで、自分の二本の足でどこまで歩けるか、自分自身に問うことなんじゃないのかね。自分の足で歩いた距離だけが本物の宝になるんだよ。だから人と競争する必要はないし、勝った負けたの結果から得られるものなんて、束の間の幻にすぎないわけだ」
「今の時代、ほとんどの人がそれを追いかけているのかもしれないね。サラリーマンをやってたころの自分がそうだったから」
「やめてわかったことが、いろいろあるんじゃないの」
「たとえば敵がいなくなって味方が増えた」
「そりゃけっこうなことじゃないの」
「今思えば、そもそも敵なんていなかったような気がする。勝ち負けでしか自分の力を評価できないから、そのために自分で幻の敵をつくっていたんじゃないのかな」
「そんなもんかもしれないね。たぶんその敵というのは鏡に映った自分なんだよ」』

 山小屋なんて、行ったこともありません。そもそも、千メートル級の山に登った経験もありません。いわゆる山登りという経験がないのです。そう言えば、友達に誘われて二人で、ジャージ程度の軽装のまま丹沢に行ったことがあります。登り始めは晴天でしたが、途中から、雪模様となって、あれよあれよという間に膝ぐらいまでの積雪、膝が動かなくなって、「えっ、このまま遭難するの?」なんて思ったことがあります。足を引きずりながら、友達に助けられて、漸く、下山したことがあります。ちなみに、その友達は、かっちりと登山スタイルでしたが・・・。山って、恐ろしいものです。この小説は、山岳小説というのでしょうか?山嫌いとなった私でも、山って言ってみたね、と、思えるお話でした。短編連作の読みやすい小説です。