東京メモリーズ

tetu-eng2016-03-06


久しぶり・・・・約2年半ぶりの東京への出張でした。

東京への出張の機会は何度もあるのですが、生来の無精者そして大の電車嫌い(もちろん飛行機も)のため、やむにやまれぬ用件でなければ、東京への出張は、極力、回避していました。ところが、今回、やむにやまれぬ用件のため、一念発起して、東京まで、ノコノコと行ってきました。

「東京メモリーズ」

大学6年間、そして、就職して10年間を東京(正確には、川崎と千葉)で生活しました。東京で、結婚して、子供も小学校1年生まで東京で育てました。特に、就職して結婚するまでの独身貴族(忘れられたワードですね)時代は、六本木、新宿、たまには銀座などで、青春を謳歌しました。結婚してからも、関東周辺(たまに、札幌など)をあちらこちらと旅行へも行きました。

ぼくの若き日々の思い出は、「東京」にいっぱいです。そのうち、東京の思い出の地を再訪してみたいと思っています。その日を元気に迎えることも、これからの目標です。名付けて、

「東京メモリー・ジャニー」なんちゃって!

さて、今回の出張の用務先は、中目黒と護国寺でした。

「中目黒のメモリー

中目黒は、東急東横線と地下鉄日比谷線の結節駅です。今は、副都心線が開通して、渋谷から埼玉方面までつながっているらしいです。

中目黒は、独身時代の通勤経路で東横線から日比谷線に乗り換えるとき、駅のホームから山手通りをボンヤリと眺めていたものです。

学芸大からいつもの車両に乗ってくるマドンナを見送っていたのも、このホームでした。今でいえば、ストーカーですね。

護国寺のメモリー

護国寺のある文京区音羽町界わいには、出版社が数社ありました。ぼくが、就職のとき会社訪問した講談社と光文社も、ここにありました。目指す会社に就職することはできませんでしたが、というか、負け惜しみではありませんが、当時、出版社は、ほとんど縁故採用だったらしいことを、あとで知りました。

当時の街並みは、まったく記憶にありませんが、護国寺は、その時と変わらないたたずまいを今に残しているのでしょう。

大都会の中の神社仏閣のひとつです。