「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
新潮社
2019年6月20日発行
第2波の到来か、いや第1波の揺り戻しか、って、どうちらでもいいです。コロナを克服したと気を緩めた人類に、甘く見るなよと、再び、襲い掛かってきたウイルス。なんと、手ごわいことか。
専門家という人たちも、ついに、だれも、コロナのことは解ていない、なんて、本音を吐露する人も・・・正直と言えば、そうかもしれないが、何とも、心もとない。山中先生のファクターXは、どこへ行ったのやら。
政府は、緊急事態宣言の解除後、「感染対応と経済回復の両輪をコントロールする」という、珍しく、ぶれない対応で「GO TO キャンペーン」を断行。
吉村知事も、この方向性を支持。我らが、井戸知事は、この方向性を支持しながら「基礎疾患と高齢者は、不要不急の外出は控えて」と、もっともなご意見。
ぼくは、高齢者なので、宣言解除前と変わらず、マスク、うがい、手洗い、三蜜回避そして「ステイ ホーム」。
言いたくないが、ブレまくっているのが、某都知事。東京問題と言われれば、国問題と言い返す。新宿だ、池袋だ、若者だ・・・と、責任の転嫁先を探すのみ。感染者の発表数字がおかしいと週刊新潮には叩かれて、あなたは、どう考えているの?
って、国民は苛立つのみ、なぜか、それが政府の対応に向けられているのは、マスコミの所為か、いまは、とにかく、何はともかく、政府方針で国民が一丸となるしかないと、ぼくは、思っていますが、多様化が、日本国のいいところ。
なんてね。日曜放談でした。
さて、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」。イエローは東洋人、ホワイトは西洋人、ブルーは、メランコリー。
イギリスの小学校、そして中学校に通う息子とその母の日常を母の視線から書いた子育ての記録。ノンフィクションだと思います。
母は、博多出身の日本人。配偶者はアイルランド人。そして、息子は、ハーフ。ハーフという言葉は差別用語で、最近は、ダブルというらしいです。
イギリスという国は、日本と同じ単一民族国家と思ったら、大違いで、移民を受け入れた多民族国家でした。そのため、学校においても、様々な差別的な言動や行動が散見されるらしいです。もちろん、教育現場では、特に、教育的な配慮、指導が行われており、これは、日本にないカリキュラムです。
これから、日本が外国人労働者を受け入れるのであれば、イギリスと同じような教育も必要になるでしょう。日本人は、西洋人は、リスペクトする傾向にあるが、東洋人に対しては、そういう感覚が希薄であるのは、歴史的な過ちの由縁かもしれません。
『2人が喋っているところを見ていると、親父は親父で博多弁でベラベラ喋っているし、息子は息子で英語でベラベラ喋り返しているので、会話が成り立っていないくせに、時おり、
「うわー、そりゃいかん」
「Oh my god」
とか、
「なんじゃこりゃ」
「what the hell is that?」
とか、日本語と英語で絶妙にシンクロを見せているところがあり、そんなときには傍らで聞いているこちらのほうが笑ってしまうが、人と人とのコミュニケーションには、意外と言語はそんなに重要ではないのかもしれないと思ってしまうほど、彼らは気が合う。』
コロナ後の世界が、言語とは関係なくコミュニケーションがとれるようになるといいのですが。いろんな意味で、いろんなことを考えさせる良書だと思います。