ぶらり・・・黒井城址へ

ぶらり・・・黒井城址

 

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世間では・・・シルバーウィークといっても、無所属のぼくには、「そんなの関係ない」(古いね)。「GO TO トラベル」といっても、「そんなの関係ない」。

 

いずれも、日々、粉骨砕身、労働をされている皆さまのためのシステムでしょう。無所属のぼくは、皆様のお邪魔にならにように、自宅でジッとして、テレビで観光地の人出の多さを喜ぶのがお勤めです。

 

と、思っていましたが、「敬老の日」(これは、ぼくと細君の日)は、天気良好。いつものように、突然、どこか行こうか?刹那的な行動です。細君が、黒井城址に行ってみたい。という珍しく提案がありました。

 

それ何処?

 

グーグルマップで調べてみると、丹波。175号をひたすら走っていくと、1時間半ぐらいで行けそう。ということで、黒井城址を目指して、無計画のGO TO トラベル。

 

175号は、播磨・丹波・丹後を縦断する3桁国道です。ぼくの庭みたいなものですね。三木・小野・社・加西・加東・西脇・・・この辺りは、ランチのお店を探して、チョロチョロしていますが、その先の西脇から丹波へは、未知のロードです。休日ですが、渋滞もなくスイスイと快適なドライブ、そして、絶好のドライブ日和です。

 

丹波に入って、ランチには早いので、高座(たかくら)神社(別名 蟻神社)にお参りして、ご朱印を頂戴しました。そこで、宮司さんから、お宮のご由緒のご説明をお聞きして、お茶のおもてなしもいただきました。えっ、こんなおもてなしは初めてです。ご朱印も秋バージョンで手の込んだデザインでした。細君、ご満悦。

 

宮司さんのご説明で興味深かったお話を紹介します。丹波一帯は、明智光秀が治めたのですが、丹波を攻略した後、神社・仏閣の焼き討ちを行ったらしいです。このお宮も、6世紀の創建だったらしいですが、焼き討ちにあって、その後、1600年代に再建されたらしいです。比叡山焼き討ちに反対した光秀が、何故、丹波でそんなことやったのか?

 

さて、そろそろランチの時間。お目当てのレストランを探しましたが、あるべき場所にありません。・・・よく見ると、チェーンの張った駐車場があり、なんと閉店していました。えっ、これ、コロナの影響でしょうか?仕方ないので、近くの道の駅に行きましたが、三蜜状態・・・こりゃ駄目だということで、コンビニでお弁当を買って、兵主神社の駐車場で車内ランチ。

 

いよいよ、黒井城址です。

 

南北朝時代に山城として築城されて、戦国時代は、赤井氏が丹波一帯を領していましたが、明智光秀に滅ぼされて、その後、光秀配下の斎藤利三が3年間、治めていたらしいです。

 

標高370mの典型的な山城。朝には雲海が広がり、竹田城址と同じような風景になるらしいです。

 

麓から予想外に厳しい山道を登ること約1時間。途中、獣除けの扉が2か所。セルフで門扉を開閉。えっ、こんなの初めて。涼しくなったといえども、息を切らしながら、背中は汗びっしょり。バテバテの細君を竹づえで引っ張りながら、何とか、頂上までたどり着きました。

 

そういえば、昨年も同じ時期に高御座神社で同じような経験をしました。あの時より、道は険しいかな?こちらが、1歳歳をとったからかな?

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頂上は、二の丸、本丸からの360°のパノラマ。吹く風も遮るものがなく、汗が一気に引きます。パノラマ動画を貼り付けられないのが残念です。

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次は、竹田城址に行こうと城址巡りの夢が広がりました。