「とわの庭」

「とわの庭」

小川 糸

新潮文庫

令和5年7月1日発行

 

テトラポット

高砂、「あらい浜風公園」から播磨灘を望む。遠くには、家島、さらに先には、四国がかすむ。スケッチは、四国を強調しすぎ?実際は、ほとんど、霞状態ですが・・・。

この辺り、播磨の工業地帯、神戸製鋼、カネカなどの工場のエリアの中、海を目指して車を走らせると、この公園に辿り着きました。夏の日中、当然、人っ子一人もなし。

テトラポットを見ると、aikoの歌を思い出します。

テトラポット登って♪ てっぺん先にらんで♪ 宇宙に靴飛ばそう♪』

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

なんとも、暑い日が続きますが、今年も、シルバー人材センターから「散水」(水撒き)のオファーがありました。この暑さに不安は感じますが、昨年、購入した「空調服」の活躍の場です。今年も、頑張ります。

 

この夏の暑さを「災害級」「不要不急の外出は控えるように」「外での運動は控えるように」などなど。過度に感じる脅迫的な報道が多いですが、今この時、外で働いている人たちがいるので、たまには、嘘でもいいから気持ちが涼しくなるような報道も欲しいですね

 

まあ、平日でも、テニスに興じ、太鼓を叩き、お習字の練習、ウクレレの練習など、およそ社会のお役に立っていない、ぼくが言うのも何ですが・・・?

 

ということで、またしても、余談が長くなりそうなのでここまで。

 

ぼくの「推し作家の一人である小川糸さん」(推し作家が多いいね(笑))

 

この小説、前半で読むのをやめようかなと思うほど、「なんだろう?」嫌悪感さえ抱くようなストーリーでした。どんな?盲目の女の子の虐待というか?育児放棄、置き去りなど、どうして彼女は生き延びることができたのだろうかと思うほどの。

 

『その時のわたしは、よれよれの服に、使用済みのオムツを幾重にも重ねて穿いていた。身につけていたのは、それだけだ。髪の毛も爪も、伸び放題だった。けれど当時の私にはそれしか選択肢がなく、そのことがどれだけ常軌を逸しているかなどわからなかった。』

 

彼女が発見されたとき極度の栄養失調状態だった。その後、養護施設に保護され、人としての生活へのトレーニングが始まります。まさに、現代の市中の「巌窟王」みたいですが、今、この時、実は、あなたの近くに、同じような子供がいるかも?

 

彼女の名前は、「とわ」。年齢不詳だったが、25歳と判明。25年間も、社会から隔絶され、なおかつ、一軒家で一人残され、生き延びてきたのです。あり得ないでしょう。

 

小説の後半は、やがて、「とわ」が盲導犬の「ジョイ」との独立した生活をはじめ、新しい人生を踏み出し始めるという「人生エール」となります。こうなってくると、小川糸さんの真骨頂です。

 

録音図書の存在が、わたしに生きる希望を与えてくれたのだ。』

『わたしは本という形そのものが好きなので、録音図書を借りる場合でも、その元になっている本もなるべく一緒に借りるようにしている。そして、録音図書を聞くときは、元になっている本も一緒に前に置く。表紙を手でなぞり、なんとなくこの辺かな、という想像をしながらページをめくり、紙の匂いそのものを嗅ぐ。そうすると、物語がよりわたしの内面に迫って、物語の世界を深く味わえるような気がする。』

 

電子図書が普及してきましたが、やはり、本は紙図書でしょう。「とわ」もそう言っています。そして、今回も、小川糸さんのマジックにハマりました。