「そして、バトンは渡された」

「そして、バトンは渡された」

瀬尾まいこ

文春文庫

2020年9月10日第1刷発行

  

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「なんてこった!」

ぼくの怒りの行き先は、ドコモ、ゆうちょ銀行、です。

 

その発端は、マイナポイント。ぼくは、決済サービスとしてD払いのチャージをマイナポイントの受取先として選択しました。なお、チャージ銀行は、ゆうちょ銀行です。

 

先日、マイナポイントを取得するために、D払いにチャージしようと思ったら、

「現在ご利用を停止しております。ご不明がある場合は、インフォメーションにお問い合わせください。」のメッセージ。

 

D払いのお知らせを見てみると、

「9月17日付け

 銀行口座登録の申し込み受付停止及び一部銀行のチャージ停止

 平素はドコモのサービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。

 現在、下記のサービスを停止しております。

 ・全提携銀行における銀行口座登録

 ・全提携銀行における銀行口座変更

 ・一部銀行におけるチャージ停止

  ゆうちょ銀行

 お客様には、ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。

 ご利用再開につきましては、改めて、本お知らせにてご案内いたします。」

 

「なんじゃこりゃ!」ドコモも、ゆうちょ銀行も、元をたどれば電電公社郵政公社。結局、役所体質というDNAは、民営化されても、変わることはないということでしょう。セキュリティ、甘すぎ!不正利用などの障害から、半月以上経過すれば、途中経過ぐらい公表するべきでしょう。

 

いつになったら、「ご利用再開」をするのでしょうか?憤懣・・・爆発寸前!ということで、ドコモさん、ゆうちょさん、早く、「ご利用再開」をよろしくお願いします。

 

いや~、長くなってしまいました。

 

今年一番の推薦本、「そして、バトンは渡された」です。

 

さすが、2019年本屋大賞受賞作です。ぼくは、俗人だから、偉い先生のみなさんが審査した芥川賞直木賞などの難しい賞よりは、全国書店員のみなさんが、読者目線で選んでくれた本屋大賞の小説の方が性に合っているみたいです。

 

父親3人、母親2人の親がいる優子ちゃんの物語。水戸さんが最初のお父さん、お母さんは、3歳の時に死別。小2のとき、水戸さんは梨花さんと再婚。水戸さんは、ブラジルに転勤。梨花さんと優子ちゃんは、日本に残りましたが、梨花さんは水戸さんと離婚。優子ちゃんは梨花さんの田中姓になります。

 

中一のとき、梨花さんは、泉ケ原さんと結婚。優子ちゃんは、泉ケ原姓に変わりました。そして、中三のとき、梨花さんは、また、離婚して、森宮さんと結婚。優子ちゃんは、森宮姓に変わりました。そう、今、優子ちゃんは、森宮姓ですが、梨花さんは、また、離婚して、今度は、行方不明。今は、優子ちゃんは、森宮さんと暮しています。

 

この複雑な人間関係・・・わかりましたか。

 

物語は、森宮優子から始まり、優子ちゃんの過去を振り返っていきます。優子ちゃんの5人の親たちが、優子ちゃんを愛して、みんな、優子ちゃんを育てていく愛情物語。どの親も、それぞれが愛すべき人たちです。こんな親子関係であれば、世界はみなハッピー。

 

瀬尾まいこさん、以前、「戸村飯店 青春100連発」を読了。これも、面白かった。ぼくは、辛気臭い小説よりは、とにかくハッピーな小説が、大好きです。瀬尾さんのファンになりそうです。

 

 

ぶらり・・・黒井城址へ

ぶらり・・・黒井城址

 

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世間では・・・シルバーウィークといっても、無所属のぼくには、「そんなの関係ない」(古いね)。「GO TO トラベル」といっても、「そんなの関係ない」。

 

いずれも、日々、粉骨砕身、労働をされている皆さまのためのシステムでしょう。無所属のぼくは、皆様のお邪魔にならにように、自宅でジッとして、テレビで観光地の人出の多さを喜ぶのがお勤めです。

 

と、思っていましたが、「敬老の日」(これは、ぼくと細君の日)は、天気良好。いつものように、突然、どこか行こうか?刹那的な行動です。細君が、黒井城址に行ってみたい。という珍しく提案がありました。

 

それ何処?

 

グーグルマップで調べてみると、丹波。175号をひたすら走っていくと、1時間半ぐらいで行けそう。ということで、黒井城址を目指して、無計画のGO TO トラベル。

 

175号は、播磨・丹波・丹後を縦断する3桁国道です。ぼくの庭みたいなものですね。三木・小野・社・加西・加東・西脇・・・この辺りは、ランチのお店を探して、チョロチョロしていますが、その先の西脇から丹波へは、未知のロードです。休日ですが、渋滞もなくスイスイと快適なドライブ、そして、絶好のドライブ日和です。

 

丹波に入って、ランチには早いので、高座(たかくら)神社(別名 蟻神社)にお参りして、ご朱印を頂戴しました。そこで、宮司さんから、お宮のご由緒のご説明をお聞きして、お茶のおもてなしもいただきました。えっ、こんなおもてなしは初めてです。ご朱印も秋バージョンで手の込んだデザインでした。細君、ご満悦。

 

宮司さんのご説明で興味深かったお話を紹介します。丹波一帯は、明智光秀が治めたのですが、丹波を攻略した後、神社・仏閣の焼き討ちを行ったらしいです。このお宮も、6世紀の創建だったらしいですが、焼き討ちにあって、その後、1600年代に再建されたらしいです。比叡山焼き討ちに反対した光秀が、何故、丹波でそんなことやったのか?

 

さて、そろそろランチの時間。お目当てのレストランを探しましたが、あるべき場所にありません。・・・よく見ると、チェーンの張った駐車場があり、なんと閉店していました。えっ、これ、コロナの影響でしょうか?仕方ないので、近くの道の駅に行きましたが、三蜜状態・・・こりゃ駄目だということで、コンビニでお弁当を買って、兵主神社の駐車場で車内ランチ。

 

いよいよ、黒井城址です。

 

南北朝時代に山城として築城されて、戦国時代は、赤井氏が丹波一帯を領していましたが、明智光秀に滅ぼされて、その後、光秀配下の斎藤利三が3年間、治めていたらしいです。

 

標高370mの典型的な山城。朝には雲海が広がり、竹田城址と同じような風景になるらしいです。

 

麓から予想外に厳しい山道を登ること約1時間。途中、獣除けの扉が2か所。セルフで門扉を開閉。えっ、こんなの初めて。涼しくなったといえども、息を切らしながら、背中は汗びっしょり。バテバテの細君を竹づえで引っ張りながら、何とか、頂上までたどり着きました。

 

そういえば、昨年も同じ時期に高御座神社で同じような経験をしました。あの時より、道は険しいかな?こちらが、1歳歳をとったからかな?

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頂上は、二の丸、本丸からの360°のパノラマ。吹く風も遮るものがなく、汗が一気に引きます。パノラマ動画を貼り付けられないのが残念です。

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次は、竹田城址に行こうと城址巡りの夢が広がりました。

「たゆたえども沈まず」

原田マハ

幻冬舎文庫

令和2年4月10日初版発行

 

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1年ぶりに尾道に出張。と言うか、もう、1年が過ぎてしまったか?

 

「海が見える。海が見える。尾道の海が見える。」午前中は、サウナに入っているような蒸し暑さで、早く、雨が降らないかな、と思っていたら、激しい雨が降って、何だか、涼しくなってきました。これが、今年の夏の終了宣言。暑さ寒さも彼岸まで。

 

そんな雨に煙る尾道水道を渡船で渡る・・・尾道は、そこはかとなく趣がある。緩やかな傾斜の浮桟橋・・・これは、満潮のしるし。干潮のときは、この傾斜が厳しくなる。〇下船優先 〇足元注意 の看板がおもしろい。その先には、どこの島に渡る高速船であろうか?

 

そういえば、20年前、この船着場から高速船に乗って今治に行ったことがある。点在する島々に立ち寄って、人と荷物が行き来するのを、船内の後部座席に横になって、眺めていました。そんなのんびりした時の流れは、いまは、しまなみ海道が完成して、車での行き来になっています。

 

そんなことを考えながら、駅前ビルで尾道ラーメンを食べていました。ご当地ラーメンブームで、いつの間にか、尾道ラーメンも有名になりました。が、「朱華園」は、もう閉店したそうです。それも、時代の流れなのでしょう。

 

昭和を懐かしむのは、昭和生まれの性でしょう。明治生まれは、明治を懐かしみ、大正生まれは大正を懐かしむ。みんな、同じです。話は変わりますが、近頃、若い人の間で、昭和のポップスが流行っているらしいです。ときどき、テレビで流れるとホットするのは、何故でしょう。

 

余談から読書雑感へ

 

原田マハさん、もちろん、美術歴史小説です。今回は、ゴッホ兄弟がモチーフになっています。

 

今や、世界中の誰も知っているフィンセント・ファン・ゴッホ。1953年(江戸末期)~1890年(明治23年)の画家。彼の弟 テオドロス・ファン・ゴッホ。テオは、画商として、兄のゴッホを支え続きたことは有名なお話。画商としてというより、画家の兄の支援者として。

 

というのも、テオは、ゴッホの絵を画商として取引したことはなかったのです。なぜ?今は、世界中の人が、ゴッホの絵を欲しがっているのに。

 

19世紀末のパリ美術界は、まだ、印象派の絵画(モネ、ルノアールセザンヌなど)でさへ、認められていませんでした。ブルジョアジーが、求めるのは宗教画を中心とした中世欧州からの歴史的な絵画でした。

 

ゴッホの絵は、技法もモチーフも、まったく、今までにないものでした。それは、日本の浮世絵に影響されたといわれています。その浮世絵をパリで扱っていたのが、林忠正。この小説では、林忠正、その部下加納重吉が、テオ、そしてゴッホと出会い、ゴッホの新しい才能に共感していく物語です。

 

驚いたのは、実際に、ゴッホは、浮世絵を模写していたということです。本箱の週刊美術館(2000年に50巻発行された美術雑誌)のゴッホの巻を調べてみたら、歌川広重「大はしあたけの夕立」、渓斎英和泉「雲竜打掛の花魁」の模写がありました。

 

「花咲くアーモンドの枝」は、まるで日本画そのものですね。ぼくは、2000年に、いったいこの雑誌のどこを読んでいたのか?

 

「たゆたえども沈まず」から、2000年に購入した美術雑誌を、久しぶりに読み返すことができました。これも、小説の効用ですね。

ぶらり・・・吉備津神社へ

ぶらり・・・吉備津神社

 

相棒が永眠して、2週間が過ぎました。

 

寂しさの気晴らしに、岡山方面へドライブ。長距離ドライブは、コロナ禍で久しぶりです。相棒が元気な時は、同乗して、あっちこっちと行ったのですが、車酔いをするようになって、お留守番が多くなっていました。最後は、たぶん、谷瀬の吊り橋に行ったときかな?って、また、相棒の思い出になってしまいました。

 

さて、細君のご朱印の収集のため、岡山方面の有名神社の「吉備津神社」を目指して出発進行。「茄子のおしんこ」は、わが家の常套句。

 

玉津ICから第二神明加古川バイパス・姫路バイパス・太子龍野バイパスと自動車専用道路を軽快に進行。龍野からは国道2号線を、ひたすら岡山方面に。途中、赤穂国際のOVを通過。懐かしい。若い時、ここに何回か来たことがあります。

 

岡山市街の中心部を通過して、まずは、「吉備津彦神社」へ?うむ、「吉備津神社」と、どう違うの?御祭神は、どちらも「吉備津彦命」らしいです。「桃太郎」のモデルらしいです。それでは、なにが違うのか?「吉備津彦神社」は、備前の国の一社。「吉備津神社」は、三備の国の一社。三備とは、備前・備中・備後の国のこと。ということは、「吉備津神社」の方が、でかいということ。

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そんなことを考えながら2キロほど離れた「吉備津神社」へ。確かに、でかい。とくに、回廊が長い。どこまで、あるの?さすがに、三備の国の一社。その構えに、ビックリしました。

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細君は、「吉備津彦神社」と「吉備神社」のご朱印をいただき、ご満悦。

 

帰途、「最上稲荷」の標識。お稲荷さんかな?ということで、予定にない寄り道。途中に大鳥居。すごいね。ところが、(サイジョウイナリ)は正式名、最上稲荷山妙教寺日蓮宗のお寺でした。本堂には、しめ縄もあり、まるで、神社の様子ですが、お坊さんが、お経を唱えていました。

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なお、最上稲荷は、日本三大稲荷の一つらしいです。ちなみに、あと二つは、伏見稲荷豊川稲荷らしいです。

 

これは、神仏習合の名残りらしい。神仏習合とは、日本土着の神祇宗教と仏教信仰が融合し、一つの信仰体系として再構成された宗教現象をいうらしいです。仏教伝来以後、奈良時代から江戸時代まで、約千年、日本では、神仏習合がポピュラーだったらしい。簡単に言うと、神主がお経を唱えたり、僧侶が祝詞を上げたり、ということ。

 

明治以降、神仏判然令により神仏分離となって、今に至ります。したがって、お寺に鳥居やしめ縄があったり、神社に三重塔や鐘撞堂があったり、これらは、現在でも、見受けられのです。

 

そんな、歴史のお勉強をして、帰途の経路は、岡山ICから三木小野ICまで山陽道を利用(三千円也)。高速道路って、結構、高いよね。でも、現道を走るよりは、楽チンでした。

 

相棒、永眠する

相棒、永眠する

 

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その日(8月31日)、「西神そごう」が、29年の歴史に幕を閉じました。

 

西神中央からデパートがなくなり、駅前は、人通りも少なく、淋しくなりました。

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デパートは、ぼくたちにとっては、街のステータスです。昔、下関大丸の屋上には、遊園地がありました。おめかしをして、大丸に行くのは、子供たちの楽しみの一つでした。スパゲッティを初めて食べたのは、大丸の食堂でした。

 

閉店前は、サンクスセールの影響もあり、多くのお客さんで盛況でした。そもそも、経営状況の悪化が閉店の大きな要因だったので、西神ニュータウンの住人の5万人が、「そごう」でショッピングをすれば、この日は、なかったかもしれません。もう、あとの祭りです。

 

幸い、双日が、プロデュースして、新たなショッピングモールを創るそうですが、西神の住民の皆さん、地元のモールを大事に育てるのは、皆さんです。という、ぼくは、年金生活者なので、あまり、ご協力はできませんが、時間つぶしにウロウロして、賑やかしぐらいはできるでしょう。

 

さて、ぼくの相棒(ダックスフンド オス 17歳6か月)が、ぼくと細君の懸命な介護の甲斐もなく、その日(8月31日)に永眠しました。

 

その日、ぼくは、午前中の水撒きに外出中。12時前、水を撒いているときに、なぜか、胸騒ぎがして、「うむ」という虫の知らせがありました・・・あとで、思い出したら。自転車で帰宅の途中、背中のスマホに着信。「変だから、早く、帰ってきて!」との細君からの連絡。ペダルを踏む足に力が入ります。

 

12時過ぎ、急いで、玄関のドアを開けて、リビングへ。そこには、ベッドに、相棒が力なく横たわっていました。心臓の拍動と呼吸を確認すると、もう、すでに、相棒は、旅立っていました。ぼくは、年甲斐もなく滂沱の涙と鼻水でグチャグチャになってしまいました。

 

すぐに、動物病院に電話をかけ、先生に、確認を依頼。相棒を車に担ぎ込み、急いで、動物病院へ。「痛みもなく、大往生です」そこでも、またまた、人前にも拘らず、ぼくは、年甲斐もなく滂沱の涙と鼻水でグチャグチャになってしまいました。

 

ぼくと細君は、相棒を抱えて、力なく、帰宅。

 

翌日、火葬を済ませて、小さな骨壺に収まった相棒は、いま、リビングで安らかに眠っています。

 

息子に連絡すると、「うちの子になって良かったな。」

 

そうか、いや、「うち子になってくれてありがとう。」いま、そういう気持ちです。

 

17年6月、いつも、ぼくと細君の側にいた彼を、忘れることはありません。このブログを書きながら、またまた、ぼくは、年甲斐もなく滂沱の涙と鼻水でグチャグチャになってしまいました。

 

もう、これ以上は、書けません。

 

「破局」

破局

遠野 遥

文藝春秋9月特別号

 

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暑い!熱い!

 

週末、車の温度計の外気温が37℃となった。こんな経験は、初めてです。長く生きていると、暑い夏には、遭遇するし、コロナには、遭遇するし、今年は、いいことなしですね。早く、来年になって、いい年になってほしい・・・と思っていたら、

 

突然、安倍晋三首相、退任表明。28日、金曜日、午後5時の記者会見。

 

潰瘍性大腸炎の再発により、総理の職務を継続することができないと判断。この病気が、どういう病気か、詳細は知らないけれども、1月以降のコロナ対応で、余程、神経をすり減らしたのでしょう。一般に、大腸の疾患は、ストレスが大きく影響するといわれます。

 

7年半にわたる長期政権でしたが、こと株価については、日経平均が8千円台から2万2千円台になっているので、経済の立て直しは功績ありと言っていいのではないでしょうか。もちろん、日銀による異次元の金融政策など、相当、無理をしているので、いつかツケが回ってくるかもしれません。

 

ぼくは、安倍総理の地元、下関の出身なので、当然、安倍さんを応援していました。安倍さんも言っていたとおり、拉致問題憲法改正北方領土問題は、安倍さんの悲願だったので、断腸の思いでしょう。まあ、この問題は、あと1年で解決するとも思えませんが。

 

7年半安倍一強で、安定した政治を導いたのは、民主党政権で国民が政治の安定を求めるようになった結果でしょう。そういう意味では、コロナ問題、オリンピック問題、中韓問題など、これからの政権も、安定が肝要かと思いますが、これから、ぼくの大予想。菅ちゃんがピンチヒッターで2年、その後、河野ちゃんが実績を積んで、長期政権となる。どうかな?

 

余談は、ここまで、いいタイミングで「破局」です。

 

今期の芥川賞の受賞作品2作目です。

 

芥川賞には、珍しくベタベタのちょっとHな恋愛小説?というか、女性の恐ろしさをさり気なく感じてしまう官能小説?というか、男のバカさ加減を「いい加減にしろ」といいたくなる○○小説?

 

主人公の陽介は、三田の大学に通う4年生(たぶん、慶応大学、就職は公務員試験一本だから、らぶん4年生)。ラクビー部に所属し、出身高校のラクビー部のコーチもやっている。キン肉マンのスポーツ選手であり、どうも、イケメンであり、公務員志望なので頭脳・素行もそこそこの○○ボーイ。

 

高校時代からの彼女、麻衣子とは、ずっといい関係・・・だったのだが、ある時、新入生の灯(あかり)に出合い、なんとなく付き合いはじめる。灯は、清楚な感じで、麻衣子にないものを持っていた。やがて、麻衣子との関係は、疎遠となり、別れることとなった。その後、・・・

『灯はどうやら、日に日に強くなる自分の性欲に戸惑っているようだった。体がおかしくなったのではないかとか、ほかの人はこんなふうにならないのではないかとか、そういうことを考えるらしい。灯が日を追うごとに積極的になっているのは私も気づいていた。しかし私はそれは基本的に喜ばしい変化だと捉えていた。』

 

なんて、暢気なことを考えていた陽介だったが、やがて、灯にすべてを吸い取られるような生活に落ちていく。そして、破局が訪れる。

 

何事も、のめり過ぎてはいけない。ほどほどが大切である。若い時は、この節度というものが理解できていない。失敗をして初めて気づくが、手遅れにならにようにしなければならない。この小説は、自戒的な小説ですか?

「首里の馬」

首里の馬」

高山 羽根子

文藝春秋9月特別号

 

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相棒(ダックスフンド オス 17歳6月)、誤嚥性肺炎になって、瀕死の状態であることは、このブログでも紹介しました。もう、旅立ったと思っている方もいるかもしれませんが、どっこい、彼は、頑張っています。

 

7月の連休から、まったくエサを食べなくなり、お医者さんに連れて行くと誤嚥性肺炎とのこと。血液検査の結果、肝臓、すい臓、そして心臓が肥大化している。酸素カプセルで療養して、その後、自宅で安静療養中。

 

2週間前ぐらいから、誤嚥性肺炎は治ったみたいですが、エサを食べない状況に変化なし。そこで、高カロリーの回復期のエサを購入して、口腔内の上あごに指でエサを塗り付けて、強制的にエサを食べさせることにしました。

 

ほとんど寝たきり状態でしたが、徐々に力がついてきたのか、やや、安定してきたようです。ただし、自らエサを食べようとはしないので、口を開けて、スプーンでエサを投与する格闘を継続中です。

 

現在、目は見えず、耳も聞こえず、後ろ足が不自由になって、ほとんど歩けないですが、それでも、朝夕は、自主リハビリでベランダをフラフラしています。エサは、朝夕、食べさせていますし、プリンなど甘いものには反応しています。昼間は、静かに寝ています。

 

これ以上、回復はしないかもしれませんが、いまは、相棒の介護で、ぼくも、細君も、一所懸命です。彼にとっては、いい迷惑なのかもしれません。結局は、人間の自己満足なのでしょうか?

 

今期の芥川賞の受賞作は2作です。まずは、「首里の馬」。

 

沖縄では、戦前、競馬が盛んだったそうです。もちろん、サラブレッドではなく「宮古馬」という沖縄在来の小さな馬が走っていたようです。

 

未名子は、首里の港川と呼ばれる場所の「沖縄及島嶼資料館」という私設の資料保存館で資料整理をしている。

 

それとは別に、妙な仕事もしていた。この仕事が面白い。作家という人は、なぜ、こんな仕事を思いつくのか?

 

『遠くにいる知らない人たちに向けて、それぞれ一対一のクイズを出題する。仕事の正式名称は『孤独な業務従事者への定期的な通信による精神的ケアと知性の共有』。略称は問読者(といよみ)、というらしい。依頼人は個人というよりは、その所属する集団で、クイズの正解数や内容により、通信相手の精神や知性の安定を確認する目的でこのサービスを利用するのだという。』

 

未名子は、この妙な仕事で、ヴェンダ、ポーラ、ギバノ等とリモートで交信しながら、雑談のなかで、馬の飼い方などの相談をする。何故か?

 

ある台風の日、未名子の家の庭に、馬が一頭、迷い込んできました。その馬が、「宮古馬」だったのです。彼女は、その馬を警察に届けますが、また、また、なぜか?ある日の早朝、動物公園に引き取られた、その馬を連れ出し、彼女は、馬の飼育を始めます。

 

馬は、「ヒコーキ」と名付けました。

『今まで自分の人生のうち結構な時間をかけて記録した情報、つまり自分の宝物が、ずっと役に立たずに、世界の果てのいくつかの場所でじっとしたまま、古びて劣化し、消え去ってしまうことのほうが、きっとずっとすばらしいことに決まっている。と暖かいヒコーキの上で揺られながらかすかに笑った。』

 

沖縄の人たちは、過去に、絶望さえ吹き飛んでしまう地獄の景色をみた。その土地を舞台にして、資料館の資料、新手のカウンセリング、そして、「宮古馬」というモチーフで、作者は、何が言いたかったのか?芥川賞受賞作品は、毎度、難しい。