「古事記 マンガ日本の古典(1)」

古事記 マンガ日本の古典(1)」

石ノ森章太郎

中央公論新社

2020年1月20日第22刷発行

  

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古事記」って知っていますか?

 

もちろん!日本史で習いましたよ。当然!

 

なぜ?いま!古事記か?最近、細君のご朱印の収集につきあって、あっちこっちの神社に参拝に行きます。が、そこで、神社の御祭神は、たとえば、「天照大御神」と立札があります。さて、天照大御神って、誰?

 

もちろん、名前や、天岩戸神話などは知っていますが、それ以上は?そこで、「古事記」です。子供の頃に読んだ神話を、もう一度、おさらいしましょう。ということになって、「古事記」にハマっているわけです。

 

まず、「神話で読みとく古代日本」(ちくま新書)を読みかかけて、違うな!ぼくの求めているのとは違う。つぎに、「眠れないほど面白い「古事記」」(王様文庫)を読みかけて、うむ、これは、面白い・・・と思っていたら・・・。

 

細君が、東大最強のクイズ王の伊沢拓司 推薦の「古事記 マンガ日本の古典」と言う本があるよ・・・と教えてくれました。そこで、すぐに、ジュンク堂三宮センター街店(ぼくの行きつけ)に行きましたが、在庫なし。すぐに、さんちか店にいって、ゲットしました。

 

ここで、古事記の基礎知識

古事記は、第四十代天武天皇の命により、稗田阿礼(ひえだのあれい)が口承し、第四十三代元明天皇の御代に、太安万侶(おおのやすまろ)によって編纂され、712年(和銅五)に完成した。

上・中・下の三巻からなり、上巻は、天地開闢から天孫降臨前後に至る神々の物語、中巻は、初代神武天皇から第十五代応神天皇までの出来事、下巻は、第十六代仁徳天皇から第三十三代推古天皇までの出来事が収められている。』

 

この本では、上巻までがマンガで描かれており、それ以降は描く予定はないそうです。その理由は、上巻部分のみが、もっとも「古事記的・マンガ的」であったからだそうです。

さて、その上巻の神々の物語は、みなさま、ご存知のとおり、

『天も地もなく、世界は混とんとした状態の中で、まず、天と地が別れ、天上界の高天原に、神々が現れた。

 天地を主宰する天之御中主神(アメノミナカヌシノ神)などなど、・・・

そして、イザナギイザナミの国生み、アマテラスの天の石屋戸、スサノオのオロチ退治、因幡の白兎、オオナムチ(国つ神)の誕生、大国主命の国譲り、ニニギの降臨、コノハナノサクヤビメの物語、海幸彦と山幸彦、ワカミケヌの命(のちの神武天皇)の誕生。』

 

古事記は、漢字だけの漢文で書かれているので、原本は、とても読み砕くことはできません。当然、訳文に頼るわけですが、それも、難解なので、簡単に略した書き物を探すことになります。その最適なものが、「古事記 マンガ日本の古典」かな?もちろん、他にもあるかもしれませんが、一応、大まかに、古事記上巻は概観できました。

 

さて、次は、読み残している前述の本を読了しなくっちゃ。そのあと、続きとして、中巻、下巻のお話ができると思います。

 

乞うご期待!

 

そうそう、マンガ日本の古典シリーズは、全32巻あります。つぎは、「源氏物語」(長谷川法世)でも読みましょうか。

「推し、燃ゆ」

「推し、燃ゆ」

宇佐美りん

文藝春秋3月号

2021年2月発行

 

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あっぱれ!橋本聖子さん。

 

橋本聖子さん、夏冬オリンピック7回出場、銅メダルも獲得・・・その程度しか知りません。が、今回、大臣を辞職して迄、火中の栗を拾うなんて、とても、決断できることではないでしょう。

 

決定してから、またぞろ、外野か内野か知りませんが、いろいろと言う無責任な人たちがいますが、もう、何もできない評論家はいりません。どんな裏事情があるかなんて関係なし。ぼくは、この度胸の良さに、もろ手を挙げて応援したいと思います(何の役にも立ちませんが)。

 

ちょっと、愚痴ると、とかく、世間は、小賢しい。とくに、腹が立ったのは、立憲民主党の安住国対委員長、「国会議員も辞職するべき」・・・しゃらくせい!とは、このことです。大臣を辞し、自民党を離党し、これ以上、何を言うか?

 

とにかく、ここは、日本国民一丸となって、彼女の決断に報いるためにも、橋本聖子さんを応援するのが、人の道でしょう。

 

開催都市、東京都知事小池百合子、大会組織委員会会長は橋本聖子、オリンピック・パラリンピック担当大臣は丸川珠代、女性3人のそろい踏みです。こいつは、是が非でも、東京オリンピックパラリンピックを成功させなければ、日本人としての矜持が保てないね。

 

もちろん、コロナを乗り越えて!頑張れ!日本!(チャチャチャ)

 

文学界では、芥川賞は、宇佐美りんさん、直木賞は、西條奈加さん、女性のダブル受賞。宇佐美りんさんは、21歳の現役大学生。2004年の金原ひとみさん(当時20歳)、綿矢りさ(当時19歳)さん以来、3番目の若さでの受賞とのこと。

 

17年前の「蛇にピアス」「蹴りたい背中」は、当時、ぼくは、読みませんでした。が、最近、読んでみて、その感覚の斬新さに驚きました。いまでも、古さを感じさせません。

 

さて、「推し、燃ゆ」。

『推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず。それは一晩で急速に炎上した。』

主人公の「あかり」は、高校生。地下アイドルのファン。推し、は、「真幸くん」。「推し」とは、ファンとして支援している・・・という意味かな。SNSで、同じアイドルを応援するファンと、日常茶飯事、交信している。

 

「燃ゆ」とは、そのSNS上で、「炎上」すると言う意味か?「推し」の小さい時からの経歴などを調べ上げ、グッズを買いそろえ、当然、写真集やCD、そして、コンサートチケットを何枚も買う・・・俗にいう、入れ上げる、と言う意味かも?

 

分からない言葉が出てきた「チェキ撮影」。調べてみると、「チェキ」とは、「check it」の略。富士フイルムインスタントカメラらしいです。コンサートの後、「推し」とチェキ撮影できるサービスがあるらしい。

 

「あかり」の日常は、アルバイトと「推し」一筋。当然、学業はおろそかになり、高校は中退する。そんなとき、「推し」が引退する。

『とにかくあたしは身を削って注ぎ込むしかない、と思った。推すことはあたしの生きる手立てだった。業だった。最後のライブは今あたしが持つすべてをささげようと決めた。』

人生には、良くも悪くも、「こだわり」が必要であることもある。宇佐美さんは、生きていくための背骨として、誰かを、何かを、支援する、応援することを「推し、燃ゆ」という。

 

宇佐美さんの次作が、待たれます。

 

もう一人、すごい女性がいます。大坂なおみ!あっぱれ!

 

「#わきまえている女」

「#わきまえている女」

 

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こんなことを書くつもりはなかった。が、やはり、放談することとした。「沈黙」は、「賛成」らしい。ただし、ぼくは、「賛成」でも、「反対」でもない。ずるいかもしれないが、「両論尊重」である。

 

事の発端は、ご承知のとおり。

 

あるワイドショーでの街頭インタビュー

『シニアの男性「大したこと言ってないと思うけどね」

その妻「そんなことないわよ」

シニアの男性「うむ、そうね」』

 

ぼくらシニアは、ほとんどの方が、この「シニア男性」に拍手でしょう(って言うと、そんなことはないと反論もあるでしょう・・・いいじゃないですか)。最後に、妻に同意することの次第もふくめて。

 

あっ、話はそれますが、「夫」「妻」も差別的用語らしい。じゃ、「husband」「wife」はどうするの?「配偶者」というべき、「spouse」らしいです。じゃ、「おとうさん(father)」「おかさん(mother)」は?「兄弟(brother)」「姉妹(sister)」は?「男の子(boy)」「女の子(girl)」は?・・・キリがないね。

 

男性(man)と女性(woman)の用語は、多種多様です。「夫」と「妻」だけが、差別用語というのは・・・理解不能

 

話を元に戻すと、そもそもマスコミの見出しがいかがなものか?「女性蔑視」・・・「蔑視」とは、新明解国語辞典によると「相手をバカにして扱うこと」。「女性は、話が長い」が蔑視とは、ちょっと、過激な表現ですね。

 

問題なのは、会議のメンバーの女性比率の数値化についての発言だと思うので、これは、「機会均等を妨げる発言」というべきでしょう。

 

すでに、社会的には、女性管理職、女性役員、女性議員など、女性の社会進出を進めるために、ドラスティックな手法として、数値目標は、取り入れられつつあるのが、現状です。総理経験者ともあろうお方が、そのことは、ご存知だと思います。

 

したがって、ここが、問題のポイントではないでしょうか?

 

おまけに、海外の批判なんて、大きなお世話です。日本国は、高天原の支配者は、アマテラスオオミカミであり、女性ですよ。まるで、日本国が、女性を蔑視しているというように批判するのは、核心的利益に関する問題であり、内政関与である・・・まるで、中国みたい。

 

挙句の果てに、新会長は、女性で、若い人がいいって。それじゃ、男性、年寄りの蔑視じゃないですか?世の中の男性、年寄りは、「#わきまえている年寄り男」のハッシュタグをつけてSNSで抗議をしようじゃありませんか?

 

何の????

 

結局、コロナで荒んだ心が、この程度の話(この表現も批判される)で大騒ぎをするに至った原因じゃないでしょうか?はやく、コロナワクチン接種の史上最大の作戦を実行してください。

 

「イノセント・デイズ」

「イノセント・デイズ」

早見和真

新潮文庫

令和元年6月5日第29刷発行

 

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久しぶりに、三宮高架下(センイ商店街)から元町高架下(モトコー)を経由して、湊川神社まで歩きました。センイ商店街と言っても、生地屋さんは、昔ほどは営業していません。緊急事態宣言中なので、お客さんが少ないからかも?

 

三宮高架下は、そこそこ、営業していますが、元町高架下になると、もう、ほとんどシャッターが閉まっています。カラフルなシャッターだけが、なんだか、妙に、寂しさを助長するようです。

 

ところどころ、高架の耐震補強工事で、通行できなくなっています。戦後、闇市から現在に至るらしいですが、JR西日本は、高架下の再開発を計画しているのか?店舗の立ち退きを求めるだけで、将来計画は明らかにしていないらしいです。さて、どうなるのかな?

 

昔から、モトコーは、デインジャラスな雰囲気がありましたが、いまも、球の切れた蛍光灯が、チカチカと光って、人の通りもなく、ちょっと、不気味ですよ。夜は、絶対、歩けないよね。とくに、一人では!

 

でも、そういった場所が、どんどんなくなっていくのも、何だか、寂しい気もします。街は、雑多なものが、ゴチャゴチャと存在して、いろんな人が行きかった方が、面白いでしょう。

 

高層ビルばかりで、しかも、街区は、きれいにデコレイトされたエリアだけの街は、味気ないですよね。どこの街でも、鉄道の高架下には、なぜか?危険なにおいがするのが、おもしろい。あ~、昭和は、遠くなりにけり。

 

さて、早見和真さんの小説は、初見です。

 

「おはよう関西」(NHK)「今年にかける」のコーナーで紹介された早見和真さん。「ザ・ロイヤルファミリー」で山本周五郎賞を受賞とのこと。神奈川出身で、5年前に松山に移住した。いま、もっとも注目を集める小説家の一人と紹介されていました。

 

そこで、「ザ・ロイヤルファミリー」は、まだ、文庫本になっていないので、先の楽しみとして、日本推理作家協会賞を受賞した「イノセント・デイズ」を読んでみました。

『足音は部屋の前で止んだ。

「1204番、出房しなさい。」

女性刑務官は毅然と言いながらも、目を赤く潤ませている。話をする機会のあった唯一の刑務官だ。そう年齢の変わらない彼女に申し訳ないという思いが真っ先に湧いて、幸乃は逃げるように視線を逸らした。卓上のカレンダーを視界に捉えた。

九月十五日、木曜日。その日付に運命など感じない。長かった。あまりにも長すぎた生涯にようやく幕を下せるのだ。六年間、ずっと待ち望んだ日だ。』

 

田中幸乃は、元彼の家を放火して、元彼の妻と子供2人を焼死させた罪で死刑を宣告された確定死刑囚。

 

彼女の幸福だった少女時代から、一転する不幸な出来事、そして、その後、中学時代の「ある事件」、そして、元彼との出会い、でも、彼女は、いつも「必要とされない存在」だった。そして、凶行に至る。

 

『読後、あまりの衝撃で3日ほど寝込みました・・・』(文庫本の帯)

 

寝込むことはなかったけれど、小説の迫力には圧倒されました。この小説は、推理小説なのか?死刑存廃の社会派小説なのか?「イノセント・デイズ」とは、「罪のない日々」なのか?早見さんの本、もう一冊、買いました。

「おもかげ」

「おもかげ」

浅田次郎

講談社文庫

2020年11月1日第1刷発行

 

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今年は、節分が、2月2日とのこと。えっ、節分って、2月3日じゃなかったっけ?今年は、2月3日が立春、その前日が、節分です。えっ、なんで???Why??

 

『地球が太陽を1周する公転周期は、365日と6時間弱。4周するには、4年と1日ほど必要だ。

このため、実際の気候と暦が合うように、4年に1度のうるう年に2月29日を追加して補正している。

ところが、この補正で、約45分増やし過ぎとなるため、400年の間にうるう年を3回減らして帳尻を合わせている。

こうした暦のずれと補正の繰り返しによって、立春などの日付が変わる。

節分も、2月2~4日の間を行き来してきた。1984年は2月4日だったが、翌85年から2020年までは2月3日が続いた。今後しばらくは、うるう年の翌年に2月2日となる。』

 

らしいです。わかりましたか?ぼくは、理解不能でしたが、節分が、2月2日になるのは、124年ぶりで、2月4日になったのは、昭和59年(1984年)37年ぶりらしいです。うむ、もう、結婚していましたが、まったく、記憶にございません。

 

なお、これからは、ちょこちょこ2月2日になるらしいです。これが、またまた、理解不能です。

 

 以上、余談でした。

 

 浅田次郎さんの「おもかげ」。ちょっと前に読了した「地下鉄(メトロ)に乗って」の姉妹版みたいですね。両小説とも、舞台は、東京メトロ

 

 はじめに、提言します。

 

両方ともに、お薦め。☆5です。どちらを先に読めばいいか?うむ、前者は、母親を、後者は、父親の思い出。どちらでも、OKです。ぼくは、発刊順で、メトロ→おもかげ、でした。

 

 竹脇正一は、総合商社の部長職から関連会社の役員として転出。そして、65歳で役員定年を迎えた。ところが、今、病院の集中治療室にいる。意識不明の状態である。定年の日、送別会の帰りに、地下鉄の車内で倒れた。荻窪の自宅から会社までの、通い慣れた丸ノ内線の車内である。そして、新中野の駅から担ぎ出された。

 

 正一は、集中治療室のベッドから、小旅行を体験する。そのナビゲーターは、マダム・ネージュとのクリスマスのディナー、入江静との海岸でのランチ、カッちゃんとの居酒屋でのひと時、そして、峰子との語らい・・・みんな、夢とは思えないほど、リアルだった。とても、危篤状態の重病人とは思えない。

 

 正一の肉体は、時には、青年時代、時には、壮年時代に戻る。そして、地下鉄の中で、幼くして亡くなった息子と出会う。

『ふと、六十五年の人生は短すぎるな、と僕は思った。

 捨て子の境遇が幸福だなどと、強がりにもほどがある。正しくは不幸を挽回したのだ。

 だが、六十五年で終わったのでは、帳尻が合わない。人の人生が均等な禍福で糾われているとするならば、このさきまだ十五年や二十年の幸福な時間が、余っていなければおかしいと思う。』

 

 今のぼくは、七十五歳の健康年齢までの幸福を求めている。やりたいことが、湧き水の如く溢れてくる。もっと、時間が欲しい。でも、何時か、正一のように集中治療室のベッドに横たわることになるのだろう。そのとき、ナビゲーターは、どんな小旅行に連れていってくれるのでしょう。

2021年のチャレンジは、・・・?

2021年のチャレンジは、・・・?

 

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年末からの「ウクレレ・ソロ100曲アップ」をフェイスブックにアップする企画については、このブログでも紹介しました。すでに、12月3日からアップして、すでに、NO.7まで、順調に?チャレンジしています。

 

なぜ、フェイスブックか?端的に言えば、YouTubeでは、荷が重すぎるから。まあ、もっと、ストレートに言えば、下手だからです。I沢くんいわく、YouTubeにアップすると、中傷がすごいとのこと。えっ、彼は、経験があるのかな。

 

その忠告に従って、フェイスブックならば、仲間内だけなので、お義理で聴いてくれるかも・・・なぜ、そこまでして、アップしたいか?これは、簡単、ぼくのモチベーションのためです。

 

家で籠って、ジャカジャカ弾いているだけでは、向上心が芽生えませんね。まあ、仲間内に披露するだけでは、どうかな?とも思いますが、少なくとも、なんとか、レベルアップしたいという意識には繋がります。やはり、発表の場は、必要なのです。

 

しかし~、冷静に考えると、とんでもないチャレンジを始めたものです。1週間に一曲アップしても、2年がかりです。それでは、完成度に問題がある・・・まあ、もともと、いくら練習しても、左程、大差はないとは思いますが。「下手な鉄砲、数打てば当たる」のスピリットが、いいかも。

 

そういうことで、友達承認しているフェイスブックの「お友達」には、ご迷惑かもしれませんが、目標達成にご協力をお願いします。

 

なお、このブログを読んでいただいている方で、「おっ、聴いてみようかな」って、ご奇特な方は、フェイスブックは本名で登録していますので、友達申請していただければ、すぐに、承認させていただきます。

 

そうそう、ぼくは、音符も読めないし、音楽のことは、チンプンカンプンなので、少し、音楽のお勉強をしようと一念発起。毎週、金曜日の23時から、YouTubeの「ウクレレライブ&音楽理論」(by鈴木智貴)を視聴しています。

 

「キーの説明」「コード(和音)の説明」「キーとコードの関係」などなど、知らないことばかりで、勉強になりますが、ほとんど、理解できていない現実。でも、何となく、知っておくことが大切とのこと。

 

とくに、音楽の三大要素、「メロディ」「ハーモニー」「リズム」のうち、同じリズムで演奏することが、聞き手にストレスを与えないため、一番、大切なことらしい。それには、メトロノームで練習すること。でも、これ、弾いている方がストレス。

 

あっ、ネガティブな事実を書きますが、ぼくの手の指・・・へバーデン結節のため、長時間、ウクレレを弾いていると、やや障害があります。そのため、ひょっとすると、途中棄権もあるかもしれませんが、目標達成のために、頑張ります。

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最後に、ぼくの愛用のウクレレを紹介します。フェイマスの「FCK-DX」。ぼくには、勿体ない代物ですが(買うとき、ヤマハの店員さんに言われた)、いい音は出るはずです。が、ぼくには、まだ、出せていませんが・・・。

 

では、今週は、ここまで。

「漱石先生ぞな、もし」

漱石先生ぞな、もし」

半藤一利

文春文庫

2016年10月10日第8刷発行

 

 

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先週、半藤一利氏の訃報がテロップで流れました。

 

やや、これは、コロナかな?と思ったら、老衰で亡くなられたそうです。享年90歳。

ぼくが、夏目漱石のファンであることは、このブログで何度も書いたことがあります。そのため、半藤さんのことは、存じ上げています。

 

ずばり、夏目漱石は、義理のお祖父さまです。もう少し、詳しく説明すると、半藤氏の細君である末利子さんが、夏目漱石の長女である筆子の娘です。筆子の夫である松岡譲氏は、漱石の門人で、漱石関連の書籍が多数あります。末利子も、漱石関連の随筆を書いています。

 

そこで、半藤氏の訃報を聞いて、本箱を漁ってみると、ありました。

 

漱石先生ぞな、もし」・・・これ、まだ、未読でした。これから、読もうと思って、引っ張り出しました。パラパラとめくってみると、「歴史探偵」と言われた半藤氏らしい文芸評論をユーモラスに展開しているようで、面白そうです。

 

なぜ、未読なのか・・・記憶にございません。

 

半藤氏で、おそらく、皆さんがご存じなのは、「日本の一番長い日・・運命の八月十五日」だと思います。映画化もされて、たぶん、ぼくは、見たと思います。なんとなく、当時のオールキャストの壮大なシネマだったと思います。

 

そんなこんなで、どうして、今、半藤氏の訃報に反応したかと言うと、ちょうど、「吾輩は猫である」の英訳版(中学生レベル)を読んだところでした。折角なので、冒頭部分を、紹介しましょう。

『I am a cat. And I don’t have a name yet. I have no idea where I was born. But I do remember crying in a dark, wet place. And that is where I met a human for the first time. He was the most dangerous type of human, but I didn’t learn that until later. He was a Shosei student.』

もう一つ、新聞小説伊集院静の「ミチクサ先生」(夏目漱石と妻の境子の物語)を毎日、愉しみにして、読んでいます。どういうご縁か知る由もありませんが、このところ、漱石先生に親しんでいたのですね。

 

千円札よりは、万円札の方がいいのですが・・・?

 

そうそう、話が、よそに飛んでいますが、「漱石先生ぞな、もし」の第一話は、「坊ちゃん」の主人公のモデルは、誰か?というお題から始まります。こういうことを研究している学者さんが沢山いるのは、平和な証拠です。

 

ぼくも、研究しました。漱石の小説には、「成程」「余程」「左程」などの表現が多く出てきます。司馬遼太郎の小説には、「余談ではあるが・・・」というくだりが、多く出てきます。って、これは、常識ですか?

 

そして、ぼくのブログには、両方の表現が、多く出てきます。