「押絵と旅する男」

押絵と旅する男

江戸川乱歩

江戸川乱歩全集第5巻

光文社文庫

2015年6月25日4刷 

 

「なでしこ芸術文化センター」 新築の図書館が、駅までの通り道にオープンしました。いつもの通り道だけに、便利この上なし。散歩の途中、買い物の途中、ちょっと寄って、本棚から本を取って流し読み。まことに、イイね。

 

あなたは、図書館を利用しますか?

 

ぼくは、高校生の頃から、よく図書館を利用していました。高校は、男子校だったので、校内唯一の女性が、図書館の司書・・・これが理由で、図書館に行っていたわけではありませんが・・・。

 

その頃から、日常的に、図書館を利用するようになりました。利用とは、もちろん、興味のある本を借りて読むこと。また、図書館の学習スペースで、本を読んだり、何かのお勉強をしたり、お昼寝したり、などなど。

 

最近は、神戸外国大学の図書館の常連でしたが、コロナ禍での利用制限があり、足が遠のきました。ここは、昼食に学食が利用できたので、便利でしたね。それと、学習スペースが広くて、窓際は、太陽の光サンサン・・・身持ち良くて、すぐに、寝落ち。

 

ということで、ぼくは、文庫本の新刊図書は、ジュンク堂で買いますが、時に、古い本が読みたくなった時、図書館で探して借ります。そういう、使い分けをしていますね。読み終わった新刊図書は、すぐに、ヤフオクでオークション。

 

図書館で借りる利点、面白くなければ返却すればイイ。これは、大胆に・・・であ~る。そうすれば、気軽に図書館が利用できます。

 

押絵と旅する男江戸川乱歩全集第5巻。先週、借りてきました。全30巻の全集。余程の乱歩ファンでなければ、買えないですよね。借りる人もいないのか?新品でした。乱歩が読みたくなったら、ちょくちょく、図書館ですね。

 

『この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったならば、あの押絵と旅をしている男こそ狂人であったに相違ない。だが、夢が時として、どこかこの世界と喰違った別の世界を、チラリと覗かせてくれる様に、又狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を見たり聞いたりすると同じに、これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、ふと隙見したのであったかも知れない。』

 

押絵と旅する男」は、昭和4年に「新青年」に発表した短編です。当時の「新青年」の編集長であった横溝正史の催促で、一度は、破棄した原稿を復刻したそうです。

 

横溝正史といえば、彼は、神戸の出身で、生誕の地のモニュメントが、ハーバーの川崎重工の前にあります。モニュメントが「メビウスの輪」というのは、推理小説家にはピッタリですね。

 

実家は、薬局を営んでいて、彼も、一時、薬剤師として働いていたようです。まったく、話は逸れますが、ダイエー創始者中内功の実家も、ハーバーの近くで薬局を営んでいたそうです。

 

なお、中内功の父と横溝正史は、現在の大阪大学薬学部の同窓生です。

 

小説のあらすじは、ミステリーなので、秘密です。

「熱源」

「熱源」

川越宗一

文春文庫

2022年7月10日第一刷 

 

「柿 10個」 和尚の法務で、3週間ぶりの坐禅会。帰り際に、和尚から参道のたわわに実っている柿狩りのお許し。早速、剪定ばさみを借りて、チョッキン、チョッキン、10個も収穫しました。

「柿食えば 鐘が鳴るなり 太山寺

 

 

河野大臣「保険証、運転免許証を廃止して、マイナンバーカードに統合」とのこと。

ところが、国家公安委員長、運転免許証を廃止するつもりはないとのこと。

 

マスコミの紹介する国民の声は、マイナンバーカードは、信用できないとのこと。「個人情報が漏れないの?紛失したらどうするの?リスク分散すべきでは?」

 

一体、どうなっているの?河野大臣のフライングか?また、岸田内閣支持率が下がって、20%台の危険水域とのこと。

 

どうも、わが国民は、政府に対する信用が低いようです。これは、政府の責任か?国民の我が儘か?その両方か?若しくは、他の理由か?

 

結論からすれば、優等生的には、それらすべての複合的な問題であ~る。じゃあ、どうすればいいのか?強権的に決定するか?議論を尽くして民主的に決定するか?日本は、後者でしょう。

 

なお、日経新聞は、日曜日の社説で、政府方針について「妥当である。」との明快な結論でした。

 

何だか、外野席から訳の分からないことをつぶやきましたが、「熱源」を読むと、今は、なんとも平和な世界だと痛感します。

 

「熱源」は、文句なく、今年の、ナンバーワンの小説。

 

舞台は、樺太(サハリン)。そもそも、樺太は、誰のものでもなかった。そこには、アイヌなどの先住民族が平和に自然と共存しながら暮らして居ました。その後、日露両国人が入植。さらに、明治維新のあと、樺太・千島列島交換条約によりロシア領となりました。

 

物語は、その時代から始まります。樺太アイヌは、樺太に残る者、北海道に移住する者に分かれます。その後、日露戦争により、樺太の南半分は、日本領となりました。そのとき、北海道に移住した樺太アイヌは、樺太に戻ります。

 

そして、悲劇は、昭和20年8月、日本の敗戦により、ロシア軍が国境を越えて樺太を占領。さて、樺太アイヌの運命は?

 

『「弱肉強食の摂理な中で、我らは戦った。あなたたちはどうする」

「その摂理と戦います」

「弱きは食われる。競争のみが生存の手段である。そのような摂理こそが人を滅ぼすのです。だから私は人として、摂理と戦います。人の世界の摂理であれば、人が変えられる。人知を超えた先の摂理なら、文明が我らの手をそこまで伸ばしてくれるでしょう。私は、人には終わりも滅びもないと考えます。だが終わらさねばならぬことがある」』

 

日本人は、西洋文明に同化して、西洋文明と戦った。アイヌは、ロシア、日本からの同化政策により、そのアイデンティティが失われようとしている。そこには、弱肉強食の摂理があるが・・・。

 

他民族、他文明、他者の思想など常に他者に対するリスペクトが、最も、貴重なことであるということ。・・・いろいろ、考えさせられる小説でした。

ぶらり、奈良・・・橿原神宮、そして平城宮跡

ぶらり、奈良・・・橿原神宮、そして平城宮跡

木曜日、朝、漸く、秋の訪れを感じられるようになったので、久しぶりに、奈良に行こうと、やっぱり、突然の日帰りドライブ。

 

どこへ?細君の希望で、「橿原神宮」と決定。片道約2時間ということで、9時半出発。

 

給油をしようと、いつものガソリンスタンドへ。うむ、なぜか?チェーンが張ってある。店員さんに聞くと、通信トラブルで給油できませんとのこと。なんと、幸先悪し。

 

幸先が悪いのは継続。阪神が大渋滞。ナビは新ルートとして、湾岸ルートを提案。早速、経路変更。ところが、湾岸は、大型トラックがビュンビュン。怖い。怖い。久しぶりの高速運転で、もう歳だね。

 

どうにか、湾岸を抜けて、南阪奈道路から葛城方面へ、そして、橿原へ。奈良県立医科大学の交差点を右折。うむ、奈良県立医科大学・・・あっ、見たことのあるへリポート。そうだ、安倍元首相が担ぎ込まれた病院。

 

と、いうことで、無事、橿原神宮へ到着。

 

広い、広い参道には、大きな木製の一の鳥居、そして神橋を渡ると、さらに、これも木製の二の鳥居。そこから右手に折れて南神門をくぐると、そこは、外拝殿前の大広場です。

 

ここまで、玉石の道なので、足を取られて、歩きにくいですが、周囲の森閑とした趣に神々しさを感じます。

 

さて、橿原神宮は、初代の天皇である神武天皇が御祭神です。

 

カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)は、日向の国の高千穂の宮で国を治めていましたが、三本足の八咫烏に導かれながら、東征。やがて、大和の畝傍にたどりつき、橿原の宮において国を治めることになり、のちに神武天皇となりました。これは、古事記の世界です。

 

なにせ、神武天皇は、137歳で没したことになっています。

 

外拝殿で、家族健康を祈願。内拝殿、本殿には、入れませんが、たまたま、回廊で華道の展示をしていたので、回廊から拝することができました。

参拝をすませて、神域をブ~ラ、ブ~ラ。背後の畝傍山への登山道がありましたが、片道30分ということで、断念しました。芝生広場の森林遊苑では、幼稚園児が遠足でしょうか。ゆったりとした時間が流れています。

 

奈良の名物、柿の葉寿司とにゅう麺を食べながら、あと、どこへ行こうか?そう言えば、奈良の友人が、平城宮跡を薦めていたので、平城宮跡を目指します。

 

平城宮跡は、近鉄奈良線が跡地を横切っているので、電車では、大和西大寺駅から奈良駅の間で、施設を見ることができますが、行くのは初めてでした。

まあ、敷地の広さにビックリ。やたらと広い敷地に朱雀門、大極門、そして大極殿が、ポツン、ポツン、ポツンと一直線上に復元、配置されています。ぐるりと見て回るのに、三千歩は歩きますね。

大極殿には、上村淳之画伯による四神・十二支の小壁彩色、天井の蓮の花。これは、必見です。それと、中央に配置された高御座も。

写真は、朱雀門大極殿、そして、朱雀門と踏切と電車が写るシャッターチャンスを逃さないように。

 

実は、平城宮に代表される奈良時代は、聖武天皇在位の75年間なのです。

「夢十夜」

夢十夜

夏目漱石

新潮文庫

昭和51年7月30日 発行

 

「北野の洋館」 久しぶりに北野の異人館街をブラブラ。この界隈、何年ぶりだろうか?そう、北野天満宮に行って以来。そのとき、風見鶏の館の前で、大道芸を披露していたが、今は、コロナの影響で、まだまだ、賑わいは戻っていない。

 

 

今年も、もう、10月。ぼくの誕生月が遠慮なくやってきました。六十代最後の年になります。六十代最後というと、何だか、終焉という感じで、ネガティブなイメージですね。むしろ、七十代最初の年の方が、ポジティブですね。

 

そんな風に思うのは、ぼくだけでしょうか?

 

今年は、様々な体の不調が連続しています。いまは、朝方の指の強張り。1時間ぐらいすると復調しますが。原因は、へバーデン結節とばね指らしいです。これは、これから、現状維持なのか?悪化するのか?良化するのか?

 

もう一つ、2~3日前ぐらいから、右後頭部の頭痛で、夜中に目が覚めます。やり過ごすために、夕食後、痛み止めを服用していますが、これは、原因不明。心当たりがありません。1~2週間は、経過観察ですね。

 

どれもこれも、加齢と言ってしまえば、そういうことかも。これからは、五体痛いとこなしは、贅沢な望みなのかもしれません。いよいよ、正真正銘の老人になってきたのかもしれません。ちょうど、その変わり目かな?

 

そして、明け方、夢を見るのです。起き抜けには、なぜ、夢に中に彼が現れたのか?と思うこともあるのですが、すぐに、忘れてしまいます。

 

そこで、これも、久しぶりに、夏目漱石の「夢十夜」を読みました。

 

数年に1回、いや、1年に1回は、なぜか、夏目漱石に回帰してきます。「三四郎」「それから」「門」の前期三部作は、もう何回読んだろうか?たぶん、これからも、ぼくの漱石LOVEは、変わらないと思うし、死の床にあっても、最後まで、枕もとに置いておくのは「吾輩は猫である」かも。

 

さて、「夢十夜」は、タイトルのとおり、「こんな夢を見た。」の書き出しの十夜の夢の話です。

 

『こんな夢を見た。

腕組みをして枕元に座っていると、仰向けに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真っ白な頬の底に温かい血の色が程よく差して、唇の色は無論赤い。到底死にそうには見えない。然し女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確かにこれは死ぬなとと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗きこむ様にして聞いてみた。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと目を開けた。』

 

 

夢の中の話である。死にそうに見えない女は死ぬのか、死なないのか?なんとも、夢であればありそうな様です。研究者は、自然主義・リアリズムに対して、虚構と想像力によって構築された世界・・・などと、難しい論評をするが、早い話、「夢」とは、そういうものである。

 

夢十夜」は、漱石の短編小説でもなく、随筆でもない、「小品」と呼ばれるジャンルの一つです。

「クジラアタマの王様」

「クジラアタマの王様」

伊坂幸太郎

新潮文庫

令和4年7月1日 発行

 

「学習帳」 以前、「SCHOOL NOTE 英語罫13段」をウクレレタブ譜に活用していることは書きました。今度は、「学習帳 こくご 15マス」です。写経に活用しています。今回は、「歎異抄 序文」を書きました。

朝早くに目覚めると、「般若心経」などを書いていますが、写経には、ちょうどよいサイズです。ほかにも、硬筆の練習にも使えます。

 

 

最近、100均がお気に入りです。

 

近くに、大きなダイソーが出店したので、散歩の途中に、ちょくちょく、「何か、いいものはないかな?」と物色しています。「学習帳」も、その時に買いました。

 

まあ、それにしても何でもあります。机周りでも、各種付箋、押しピン、クリップ、糊、ブックエンド、ファイリングケースなど・・・文房具ばかりですね。これじゃ、ナガサワ文具店は、往生しまっせ!

 

ナガサワは、ナガサワで、やや高級文具に特化して、それはそれで、文具女子に人気があるようです。そうそう、ノートは、100均のものは、ページ数が少ないので、ぼくは、ナガサワで買ってますね。

 

変わったものでは、爪やすり、スマホに付けるレンズ、自撮り棒なんかもありますよ。もっと変わったものには、写経セットもありますが、うむ、ご利益は如何か?

 

それでも、写経して、龍象院に持っていくと「写経奉納」を受け付けていただけます。大山寺の宝塔に納めて、年末に焚き上げるようです。

 

余談は、ここまでで、今週の読書雑感は、久しぶりの伊坂幸太郎さんです。

 

伊坂さんの小説は、ファンタジックな世界と現実の世界が入り混じって、読者は、何だっか、困惑しますが、きっちり、エンデイングは、「あ~、そうか。」と、マジックにかかったように納得してしまう。うむ、ぼくの中では、マジック小説。

 

「クジラアタマの王様」・・・タイトルが意味不明。書店で、手を出しにくいタイトルです。伊坂さんか、また、やったな。という、感じでしょうか?

 

この小説は、夢の中で出逢う三人の勇士が、現実世界でも、お互いに繋がり合って、様々なトラブルに立ち向かう。夢の中で、負けると、現実世界でも、トラブルとなる。それを、どう乗り越えていくか?

 

ときどき、夢の世界と現実世界に現れる不気味な鳥「ハシビロコウ」は、物語の中で、何を意味するのか?クジラじゃないのですよね?

 

『テレビに映る鳥に視線が引き寄せられた。漫画から現れたかのような、頭でっかちの外見で嘴がやけに大きい。横を向き、じっとしている。動物園で撮影された映像らしく、リポーターらしき女性が、「ハシビロコウはほとんど動きません」と話している。「英語名は、shoebillで、靴のような嘴という意味です」』

 

なんと、終盤には、新型インフルエンザの感染拡大・・・この小説、単行本が出たのが、2019年の7月、現実世界では、12月に確認されたので、伊坂さんは、現在のパンデミックを予見していたのか?

「方丈記」(全)

方丈記」(全)

鴨長明 武田友宏編

ビギナーズ・クラッシク 日本の古典

角川ソフィア文庫

平成19年6月25日 初版発行

令和3年1月15日 24版発行

「これは何でしょう」

 これは「和太鼓のバチ」です。ゲームセンターの太鼓の名人のモノではありません。袋は、細君のお手製。後ろに映っているのは、坐禅用の座蒲(ざふ)。自宅での練習用の太鼓の代用品です。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

「和太鼓の会」へのお誘いがあり、とりあえず、体験ということで参加してきました。

姿勢、バチの持ち方など基本的なことを教えてもらい、基本的なリズムも教えてもらいました。

 

なんやかんやと練習すること、3時間。汗びっしょり。先輩諸氏の動きを見ながら、見よう見まねで、適当にバチを動かしていましたが、なかなか思うような音は出ません。

そりゃそうでしょう。なんと言っても、初めての和太鼓です。

 

そもそも、バチを振り下ろして、どういう音が出るかも、恐る恐るです。それでも、だんだん、慣れてきて、とりあえず、バチを振り下ろして、太鼓を叩くことはできました。それはそれで、スッキリするし、結構な運動になります。

 

「ドン(右) ド(右) コ(左)」 「ド(右) コ(左) ドン(右)」「サッ(右) ト(右) コ(左) ドッ(右) コイ(左)」などなど。

 

太鼓囃子の4つのパータンを3人で太鼓の周りをまわりながら叩く・・・こんなの最初からできるわけないじゃん!

 

どうも、春の「桜まつり」に参加することを目標としているようです。えらいことに引き込まれました。

 

幼稚園児の学芸会じゃあるまし・・・と、内心、思いながらも、とりあえず、練習あとの反省会を楽しみにして、チャレンジしてみましょうか。って、もう、バチを買ってしまいました。

 

ということで、読書雑感ですが、なんと「方丈記」。

 

「鎌倉殿の13人」には、まだ、出てきませんが、鎌倉時代初期に鴨長明が書いた「方丈記」。原稿用紙に換算して25枚程度の日本三大随筆のひとつです。ちなみに、あと二つは、「枕草子」(清少納言)と「徒然草」(兼好法師)と言われています。

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。』

 

最近、人生、晩年の過ごし方について、数々の指南書のブームですが、千年、読み継がれてきた晩節考のバイブルではないでしょうか。

 

「広さはわずかに方丈」(3メートル四方)の粗末な庵で、念仏を唱え、和歌を詠み、琵琶を奏でて、お一人様の隠遁生活を愉しむ・・・そして、誰に看取られることもなく、ひとり息を引き取る。見事な人生のピリオッド。

 

『それ、三界は、ただ心ひとつなり。心、もし安からずは、象馬・七珍もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。今、寂しき住まひ、一間の庵、みづからこれを愛す。』

 

現代の小説もいいけれど、時には、こういった古典を顧みるのも、また、愉しいのでは。角川ソフィア文庫は、お手頃ですよ。

「雲と風と 伝教大師最澄の生涯」

永井路子

中公文庫

1990年6月9日 初版発行

2021年9月25日 改版発行

 

「一隅を照らす」

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」目の前のこと、自分にできることをやろう。目立たず、おごらず、ただひたすらに。

 

 

今、世界の合言葉は、「NO WAR PLEASE」です。

 

このところ、旧統一教会の問題で、やたらと宗教の話題がニュースになりますが、なぜ、日本人は、セクトやカルトに陥りやすいのか?との疑問。

 

あるコメンテーターは、日本人は核となる宗教がないからではないか。

 

これは、うなずける意見かもしれません。

 

ということで、

 

探していた本を見つけました。ジュンク堂に入荷していました。

 

2021年が、「最澄1200年大遠忌」。最澄が入寂して、弘仁13年(822年)から1200年ということらしい。その記念として、30年前の永井路子さんの「雲と風 伝教大師最澄の生涯」が改版発行されていました。

 

ちなみに、永井路子さんは、御年97歳の歴史小説家でした。もう30年前に引退を公表したと思います。最近、消息を聞きませんが、お元気でしょうか?

 

同時代の空海については、司馬遼太郎の「空海の風景」など多くの作品があるのですが、最澄については、小説家の作品は、この本ぐらいかも、と思っていたら、巻末の参考文献に瀬戸内寂聴の「伝教大師巡礼」が掲載されていました。そりゃそうですね。瀬戸内寂聴さんは、天台宗の尼僧でした。

 

なぜ、最澄に興味を持ったか?ぼくは、ほとんど無宗教ですが、坐禅会に参加しているお寺が天台宗なので、ときどき、比叡山延暦寺のお話があるので、知識として知っておきたいと思ったこと。

 

もう一つ、「日本の仏教の母山」とも言われる叡山であるにもかかわらず、人気のある空海弘法大師)に比べて、わりと人気薄の最澄。それは、なぜ?

 

頑張って読みましたが、残念ながら、この本、難しすぎました。これは、小説というより、学術書と言っても過言ではありませんでした。

 

唯、空海との対比を次のように書いています。

 

空海の書は芸術としての書を残している。つまり見せるための書である。そのみごとさが嵯峨(天皇)をとりこにするのだが、最澄にはそういう遺品はない。彼はひたすら天台教学のために、つまりわが志をのべるために書くのであって、その書蹟を褒められるために書いてはいない。誠実な書風には一種の風韻があるが、空海の書がプロ意識を持つとすれば、最澄のそれは、アマチュアのすがやかさに満ちている。』

 

たしかに、空海の「風信帖」(空海から最澄への手紙)はお手本になっていますが、最澄の「久隔帖」(最澄から空海への手紙)は評価されていませんね。

 

ということで、今度は、「風信帖」の臨書でもしてみましょうか?いかん、どうも、気が多くて・・・虞世南、王義之を、まず、書き込まなければ。