人生100年時代に向けて!

人生100年時代に向けて!

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ぼくこと、2019年(令和元年)6月28日(金)に退任しました。1978年(昭和53年)に入社以来、41年と3か月のサラリーマン生活でした。感慨は、様々。しかし、すべて過去のことである。過去は、過去として大事にしつつも、新しい生活のスタートの新たな門出である。

なんと言っても、人生100年時代?キャチフレーズとして、大げさかもしれませんが、男性の平均寿命からすれば、まだ、15年、健康寿命からすれば、まだ、10年。おおむね、物心がついたのが6歳ぐらいとすれば、大学を卒業するまでの時間が、ぼくには与えられているかもしれないのだ。

この時間を、どう過ごすかは、すべてぼくの裁量に委ねられている。親もいなけりゃ、子(子はすでに独立している?)もいない。細君と老犬が一匹いるが。とりあえず、手あたり次第、なんでも手を出してみようと思っている。ダボハゼのように食いついて。

すでに、7月1日は、シルバー人材センターのコーディネーターとの面接が予定されている。希望する仕事は、(孫がいないので)ひとの子供の子育て支援、若しくは、(庭がないので)ひとの家の庭の草取り。さて、オファーがあるかどうか?興味津々である。

それと、流通科学大学図書館の学外図書館利用メンバーに登録。これで、図書館が自由に使えるので、ここで、本を読んだり、ちーと勉強をしたりが可能。なんと言っても、涼しいのがイイね。学食も利用できる。ぼくの新しいオフイス替わりである。

それだけではない。ウクレレを人前で演奏できるレベルまで上達したい。これは、一番の目標かな。そのために、ウクレレサークルにも参加することとしている。

さらに、友人のAくんの2番弟子(上のフォトの扇子は書家のAくんからのプレゼント)として、競書会に参加して、一月に一回は、作品を仕上げなければならないが・・・これは、もう少し、様子を見てからにしようか。

もちろん、今までやってきた・・・ウォーキング、土曜日の坐禅会(in龍象院)、日曜日のテニス(in協同学苑)、読書、ポストカード(水彩)、ブログ・・・「えっ、欲張りすぎ!こんなにできるのか?」大丈夫!時間は沢山あります。えい!エイ!おー!

 

「木曜組曲」

木曜組曲
恩田 陸
2019年2月15日第1刷発行
徳間文庫

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例年より、ずいぶんと遅くなりましたが、いよいよ、関西も入梅するらしいです。ぼくは、雨は嫌いではありません。もちろん、靴の中がグシュグシュになったり、ズボンがビシャビシャになるほどのどしゃ降りは嫌ですが、家の中で、シトシトと降る雨の雨だれの音は、どちらかというと好きです。

そもそも、水の音は風情があります。川のせせらぎの音、滝の流れ落ちる音、波の音、人工的には、水琴窟の音・・・癒される音ばかりです。なぜ、人は水の音に癒されるのか?「おまえだけだよ」・・・そうかもしれませんが、思うに、人の起源は、水に由来するからではないでしょうか?と、これは、あくまで、ぼくの推測です。

『時子の城である「うぐいすの館」と、そこに集う血縁関係にある創作稼業の女たち、気の置けない毒舌の応酬、お酒とご馳走、柔らかいベッド、楽しみであるのと同時に、げんなりさせられてしまうところもある。それもこれも、やはりみんなが引きずっている時子の影のせいなのだ。時子の存在がいかに大きかったか、深い感慨と、かすかな疲労とともに、実感させられる。特に何のメリットがあるわけでもないのに、いつでもやめられるのに、未だにこうして毎年集まり続けているのも、彼女の死後四年を経て今なお、自分たちが彼女の支配下にあることを思い知らされる。』

四年前、耽美派の小説の巨匠、重松時子が薬物自殺した。そのとき、時子の「うぐいすの館」にいた5人の女が集まる。そして、今年は、「木曜日」をはさんで二泊三日で、時子の自殺の真相について、それぞれ、時子との関係について告白した。その告白から、さまざまの憶測や、疑惑や、懐疑や、疑念が渦巻く。果たして、時子の死の真相は、自殺?それとも他殺?

心理ミステリーというらしいです。この類のあらすじのテレビドラマやシネマは、ありがちですね。5人の女を楽曲に見立てて、それを木曜日に「うぐいすの館」で一つにして組曲とする。この小説の特色は、5人の女にある。「静子は、時子の異母妹で出版プロダクション経営」、「絵里子は、静子の母の妹の娘(静子の姪)でノンフィクションライター」、「尚美は、時子の弟の娘(時子の姪)で流行作家」、「つかさは、尚美の異母姉妹(うううううう・・・時子の・・・)純文学作家」、そして、「えい子は、時子の専属の編集者(血縁なし)」

この5人の女の関係が、この小説の全体のストーリーにおもしろく作用する。まさしく、組曲である。作家とは、うまく「タイトル」をつけるものです。「木曜組曲」は、読了後、この作品のタイトルの妙におもしろさを感じました。

 

「お金の整理学」

「お金の整理学」
外山滋比古
2019年1月21日第2刷発行
小学館新書

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30年前、東大生が皆、読んでいる。と言われた「思考の生理学」の著者外山滋比古。御年95歳とのこと、さすがに、最近、老人ホームに入所して、なお、執筆活動をしているとのこと。「知の巨人」は、心身ともに健康かつ頭脳明晰を保持しているらしい。まことに、うらやましいことである。

95歳からすれば、まだまだ、ぼくは、小僧にしか過ぎない。その小僧も、あと、2週間で現役引退である。スポーツ選手は、華々しく、引退試合をやったり、引退会見をやったりするが、われら、世に出ないサラリーマンは、静かに、オフイスというステージから去っていく。だからといって、寂しいということではない。

95歳まで、まだ30年もある。こりゃ、えらいことである。いま、ぼくの頭の中は、会社の仕事のことは、ほとんど、ありゃしない。これから、30年?かどうかはわからないが、さて、どうやって次のステージを生きていくかということで一杯である。こんな経験は、人生65年で初めてである。

「おぎゃ」と生まれて、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・・・つねに、次のステージが待ち受けていた。余程のことがないかぎり、エスカレーターである。そして、オイルショックの余波で、今でいう「就職大氷河期」をなんとか誤魔化し、いや、乗り切って、運よく何とか糊口を凌ぐ職にありつけた。まことに、しあわせなことである。

そのぬるま湯につかったまま、40年・・・年功序列、終身雇用、企業内組合という日本的経営の三種の神器に守られて、組織の中では、偉そうに過ごしてきた。そして、いま、先の見えない・・・まさに、人生、未曽有の場面に、面食らっている姿、途方に暮れている姿が、いまのぼくである。

そう、これからは、誰を頼ることもなく、己で道を切り開いていくしかないのである。手に職はなし、とくに特技もなし、資格もなし、くわえて、お金もなし、こんな、「不安」なことがあるか?こりゃ、ノイローゼになるのは、当たり前である。こんな事態に、平然としている方が、どうかしている。

なんちゃって、グダグダと書いてきたが、「不安」な気持ちを安らげるために、書店には、老後の指南書が山積みになっている。その一冊が、「お金の整理学」である。やっと、読書雑感に辿り着いたら、もう紙面が残り少なくなってしまった。まあ、いつものことである。このグダグダにお付き合いいただいている読者の皆様には・・・感謝。

さて、外山滋比古氏は、日本人は、その道徳観念から、お金のことをいうのは「卑しい」こと、「品のないこと」だと思っていると説く。

『だからこそ、はっきりといいたい・・・・お金は大事だ。
とりわけ長い老後を送るにあたって、もっとも大切なものはお金だといっていい、「お金の話」をすることも大切である。』

 社会福祉に頼っていては、財政破綻は明らかである。そこから目を逸らしてはいけない。それでは、どうすればいいのか?それは、一人一人は、考えることである。・・・なんだ?答えはないのか?そりゃそうだ。答えはないであろう。

『人間らしい生き方をするために、リスクを伴う選択は必要だ。定年退職したら、あとは安全運転で余生を過ごす・・・そんな思考では、長い人生は面白くない。』

 この本を読んで、なんの指針も得られなかったが、なんだか勇気は与えられたような気がする。

「海の見える理髪店」

「海の見える理髪店」
萩原 浩
2019年5月25日第1刷発行
集英社文庫

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「海の見える理髪店」、前回に引続き、2016年直木賞の受賞作品です。
荻原浩さんは、ぼくの好きな作家さんの一人です。彼の作品は、このブログでもいくつか紹介しています。直木賞の候補にも、何度もノミネートされて、まあ、やっとの受賞だったと思います。

この本は、「海の見える理髪店」ほか5編の短編小説が収録されています。どれも、秀逸の家族小説です。ぼくは、こういった小説が好みようです。収録されている「成人式」は、ちょうど、地下鉄の通勤時にクライマックスを迎えてしまい、またまた、目がうるうるしてきて、ぽたりと手の上に水滴が落ちてしまいました。こういうの(読むと解ると思いますが・・・・)弱いのです。

いつものように、話はコロリと変わりますが、最近、とくに多いニュース。幼児虐待と高齢者ドライバー事故。

幼児虐待は、実の親が「何故、わが子」を?というのは、共通の疑問だと思います。事件のたびに、児童相談所が記者会見をおこなって謝罪そして原因究明・再発防止などを説明していますが、根本は、なぜ、親が「そのような行為」を行ったかです。その原因は千差万別なのでしょう。したがって、やはり、社会全体として、未然防止機能を働かせるしかないのでしょうか。

高齢者ドライバー事故は、幼児虐待と違って、簡単でしょう。75歳(後期高齢者)は、免許を返上すれば行為者がいなくなるので、すべて解決です。たぶん、75歳ぐらいになると、車の購入費、維持費とタクシー利用代では、タクシーの方が安上がりでしょう。ぼくは、タクシーチケットの契約をして、タクシー利用に切り替えようと思います。でも、そのときに、たぶん、自分は大丈夫だから、もう少し、と思うのでしょうね。

話を元に戻して、「海の見える理髪店」・・・タイトルから少し優しい雰囲気の小説だと推測できます。

『その理髪店は海辺の小さな町にあった。駅からバスに乗り、山裾を縫って続く海岸通のいくつかめの停留所で降りて、進行方向へ数分歩くと、予約を入れた時に教えられたとおり、右手の山側に赤、青、白、三色の円柱看板が見えてくる。
枕木が埋められた斜面を五、六段のぼったところが入り口だ。時代遅れの洋風造りだった。店の名を示すものは何もなく、上半分がガラスの木製ドアに、営業中という小さな札だけがさがっていた。』

僕は、この理髪店に予約を入れて、店主のお任せで調髪をお願いした。普段は、美容院へ行くので、理髪店に来るのは何年ぶりだろう。店主は、調髪の間、自分の歩んできた人生、お店の成り立ちなどを饒舌に僕に話をした。店主には、別れた奥さんと一人息子がいたそうだ。

『それにしても珍しい場所につむじがおありですね。ええ、つむじっていうのは、お一人お一人違います。いえいえ、変わるものではありません。こういう仕事をしていますから、違いはすぐに分かります。
最後までよく喋るジジイだとお思いでしょう。いつもじゃありませんよ。こんなことまでお話ししたのは、お客様が初めてです。あなただけは話しておこうと思って、もう私、そう長くはないでしょうから、」』

 
聡明な読者の皆様、「僕」が誰だか、「店主」が誰だか、もうお解かりでしょう。そして、二人は名乗りあうこともなく、「僕」はしずかに店を出て行きます。さいごに、店主から、『あの、お顔を見せていただけませんか、もう一度だけ、いえ、前髪の整え具合が気になりますもので。』と、この最後のフレーズで、ぼくの涙腺は、我慢の限界を超えました。

「蜜蜂と遠雷 上・下」

蜜蜂と遠雷 上・下」
恩田 陸
平成31年4月10日初刷発行
冬幻舎文庫

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予告どおり、「蜜蜂と遠雷」。2017年の直木賞本屋大賞のダブル受賞した作品。わりと、早く文庫本になりました。まあ、2年ほど待ったということです。単行本は高いし、重いので、最近は、単行本の新刊本はぐっと我慢して、文庫本になるのを待ち望んでいます。ところが、単行本は、1,944円。文庫本は、2冊で1,576円。その差△368円。早く読めるという時間便益を考慮すると、単行本でもメリットあり。ですが、重いというネガティブを考慮すると・・・・まあ、どっちでもいいか。

ということで、余談ですが、今月号の文藝春秋に、ぼくと同じ意見の論評がありました。「働き方改革が日本をダメにする」(丹羽宇一郎伊藤忠商事の代表、そして、前中国大使。「仕事を制限することは幸福を制限することだ」・・・おっしゃるとおり。「24時間働けますか?」(昔懐かしい「リゲイン」のテレビCM)働く世代の働き方を規制して、一方では、シニアに70歳まで働けという政府の方針には、まったく、理解も同意もできません。

若いときは、身を粉にして働いてこそ、そこに幸福感がある。やがて、シニアになったとき、あのときの苦しかったことを思い出し、そして、仲間と手柄話をする。つまらないという人もいるかもしれないが、それが、昔から、人の生き方ではないかな?手柄話の一つもできないのは、ぼくは、不幸だと思います。

シニアが70歳まで働くことを否定するわけではありませんが、国が強制することではないし、この調子では、65歳すぎてフラフラしていたら、白眼視されそうです。要するに、「働く世代の働き方規制」、「シニア世代の働き方強要」は、個人の幸福を制限することだということです。政府が、ことさら法律で縛らなくても、自由経済のなかで、「見えざる手」が動きます。

そこで、「蜜蜂と遠雷」。ピアノコンクールをモチーフにした小説です。モデルになったのは、浜松ピアノコンクールらしいです。

『ステージドアが開いた。
ぞろぞろとオーケストラの団員が、舞台に吸い込まれていく、客席の喝采が、さざなみのように伝わってくる。
ああ、音楽が満ちていく。
亜夜はそう感じた。
流れのように一人一人の音楽がステージに流れ込んでいき、ひたひたとステージの上に満ちていく。
満々と湛えられた音楽を、あたしたちは世界に向って流し出す。観客の心という河口を目指して、・・・・・・
さあ、音楽を。
さあ、あなたの音楽を。
さあ、これから私たちの音楽を、と、
亜夜はかすかに微笑んで頷き返す。』

 バッハ、ベートーベン、リスト・・・学校の音楽の授業で習った作曲家のピアノ曲。まったく、知らないタイトルが並ぶ。プロコフェエフ「ピアノ協奏曲二番」・・・知らない。でも、その曲からイメージされる情景が小説のなかを流れていく。クラッシクを聴きながら、そんな経験はないよ。でも、聴きながらイメージできたら、いいね。

この小説を読んだら、クラッシックが聴きたくなる。きっと、あなたも!

ぶらり、児島ジーンズ・ストリート

ぶらり、児島ジーンズ・ストリート

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このところ、「読書雑感」がとぎれとぎれ。読書をしていないのではなく、「騎士団長殺し」(全4巻)のあと、今、「蜜蜂と遠雷」(500ページを超える文庫、全2巻)を読んでいます。読み応えのある作品が続いているということです。来週は、「読書雑感」で「蜜蜂と遠雷」の予定です。

そこで、また、また、岡山(児島)出張のついでに、たぶん、この地を訪れるのは最後になるでしょうから、すこし、児島の名所見物をしてきました。なんといっても、児島といえば、「ジーンズ」でしょう。児島駅の正面のアーケードには、ジーンズが干してある、というか、アーケードの天井に吊るしてあります。要するに、ズボンが天井からヒラヒラ垂れ下がっている光景で、あまり、感心できる風景ではありません。

それはそれとして、名所として、ジーンズ・ショップが30数店並ぶ「ジーンズ・ストリート」があります。ちょっと、欲しいもの(「ジーンズ・ベスト」)があったので、それを捜して、ショップ・サーフィンをしました。付き合ってくれたAくんには、申し訳なかったけれど・・・・。

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そのストリートの途中に「旧野崎邸」という国の重要文化財があります。これは、「塩田王国」を築いた野崎武左衛門が建てた古民家ですが、規模が尋常ではありません。3000坪の敷地に贅を極めた日本庭園など、まあ、立派なものです。座敷に入れないので、家の周りとお庭を見物するだけというのは残念です。できれば、座敷でお庭を鑑賞しながら、お茶の一杯でも飲めれば最高ですね。

「旧野崎邸」見物して、最後のショップ「JAPAN BULE JEANS」で見つけました。ちょうど、いい感じの「ジーンズ・ベスト」です。それ以外に、斉藤和義とコラボしたエプロンがあったのですが、売り物ではないということで断られました。・・・残念・・・。

ということで、最後の児島訪問は、お目当ての「ジーンズ・ベスト」をゲットすることができご満悦。

つぶやき・・・・坐禅in龍象院

つぶやき・・・・坐禅in龍象院

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先週のこと(いつも、事前告知ではないのが残念)

太山寺(本堂が、神戸市の唯一の国宝建造物らしいです)を中心として、「前開(ぜんかい)まちおこし」のイベントがありました。「極楽の里で学び、遊ぼう!~太山寺まつり~」のポスターは、以前に、ブログに掲載しました(初めてのイベントらしいです)。

開催日の3日前に、太山寺の分院である龍象院の住職から、イベント・ボランティアの急募の連絡があり、11日の土曜日に、イベントスタッフとして、参加しました。絶好のイベント日和で、普段は閑散とした境内には、老若男女が多数、参拝に訪れました。

催し物も、お寺らしく、「坐禅」からはじまって、「写経」「護摩ご祈祷」「お香作り」「お数珠作り」などなど。11日のメイン・イベントは、きらびやかな法衣・袈裟のお坊さんたちによる「声明(しょうみょう)」(お経の合唱みたいなもの)・・・なんでも、100年ぶりの大イベントだったらしいです。

そうそう、とにかく、神戸市内の天台宗のお坊さんが、みんな集まったのではないか・・・というぐらい・・・お坊さん総出のイベントでしたね(ちーと、オーバーかな)。

なぜ、ぼくが、お寺のイベントに参加したか?実は、ほぼ毎週土曜日の朝、龍象院で、坐禅を組んでいる、というご縁です。この機会に、坐禅のPR。まあ、PRする必要もないのだけれど・・・。

龍象院は、茅葺の日本建築(当たり前か)で、屋根裏が坐禅の道場として設えています。4月~11月ぐらいの間は、屋根裏で、鳥の声、森の葉音、風の音を聴きながら、ひたすら瞑想にふけります。12月~3月ぐらいの間は、屋根裏が摂氏10℃以下になるのでため、下の座敷での坐禅となります(暖房つき)。(ゆるい修行ですが・・・)

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坐禅の時間は、準備体操、整理体操を含めた、約1時間。瞑想しているのは、30分~40分かな。その日の住職の気分で前後します。その間、呼吸の数を数えています。「数息観」というらしいです。坐禅の後は、囲炉裏を囲んで、お茶の振る舞いを受けて、住職、坐禅の参加者と雑談。・・・そんな感じの「緩い時間」を過ごしています。